今朝はミニジュップをはいて家を出た。
息子を学校まで送った後、言わずと知れた大手チェーンのカフェに入る。
夫が嫌うこのカフェ。私は決して嫌いではない。お決まりの、うねうね髪の人魚のロゴマークも悪くない。(平たく言えば、結構好き と言うことだ) それにしても、この人魚はどうして尻尾が2つあるのかしらと常々思うけれど。
マグカップを手に、空いたテーブルを探すべく店内を見回すと、息子の担任のフランス語の先生、ムッシュD、が隅のテーブルに陣取ってなにやら熱心に書きものをしているのが目に入る。先日、フランス現代文学のおすすめを色々示唆してくださった先生だ。挨拶しようか少し迷うが、邪魔しないことにする。
BGMはアームストロングのクリスマスソングがかかっている。彼の低いボイスが耳に心地よい。バッグから本を出し、温かいカフェをすすれば、幸せな気分だ。
考えてみれば、先日のムッシュDの「あなたも何か書いてみてはいかがですか?」という提案は、久々に筆を取ろうと思っていた矢先の私にとって、唐突だけれど絶好のタイミングの発言だったと思う。何を思ってそう言ったのかは分からないが、氏も書き物が好きな人であるようだ。
この世は暗示で満ちている と思う。耳に入るもの、目に映るもの、そこここにメッセージが秘められているから、逃さないように耳をすませ、目を見開いていたい。
文庫本を半分ほど読み進んだ頃、年配のムッシュが隣の席にやってきて、カバンやらパソコンやら何やら大量の手荷物をテーブルにドスンと下ろすと、Pardon Mademoiselle あなたの足元のコンセントをちょっと使わせていただけますか?と、パソコンのコードを手に聞いてきた。読書は切り上げて、そろそろつぎのアクションに移る潮時だ。
もちろんです、ムッシュー。それに、ちょうど出るとろでしたから。
席を譲って店を出る。
ジュップをはいたら、マドモワゼルになっちゃった。