Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Être une femmes au XIXeme siècle

夫を誘って、Madame Zola というお芝居を観に行った。

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作家、エミール・ゾラの夫人にまつわるこの劇を選んだのは、先日観た映画 J'accuse ! の影響で、ゾラについてもっと知りたいと思ったから。

 

19世紀のフランスはまったく特別な香りのする時代だ。ユゴー、ゾラ、バルザック、デュマといった偉大な作家や、後世に名を残す有名な芸術家が数多く輩出された、香り高きフランス文化の黄金時代。イギリス由来の産業革命の煽りで、鉄道が敷かれ、街に明かりが灯り、大量生産された品々が家庭に進出して、世の中が目覚しい変化を遂げた時代。人々の装いが現代よりもずっとエレガントであった時代。

私が本当に目にしたかったのは、現在のパリではなく、実はこの19世紀の Paris en effervescence (沸き立つパリ) だったのだのに という気がする。時代を間違えて生まれてきてしまった。

 

舞台の上で、夫に先立たれたゾラ夫人は呟く。「私がいなかったら、ひょっとしたら、エミールの名声もなかったのかもしれない。」それは本当のことかもしれないと思う。偉大な業績を残した男達の影には、必ず、母親、恋人、妻、あるいは愛人といった女性達がいるのだ。

夫の愛人ジャンヌの存在を知って傷つくけれど、認めこそせずとも受け入れたゾラ夫人。離婚を申し出たが、夫、エミールに断固拒否されたのだと振り返る。なぜ?名声を築いてゆくのに、夫人の尽力が必要だったから?恋心は失っても、情があったから?それとも、二人の女性を同時に愛していたのだろうか。毎朝右足から先に家の敷居を超えるような迷信深いエミールにとって、離婚は単に縁起が悪かったのよ と夫人は語る。パリの夫婦の半分は離婚する現代と違って、時代柄、人聞きが悪かったのだろうか。

この時代の夫婦というものは、夫が愛人を作るのはある種の流行りであったらしい。女性にとってははた迷惑な流行りだけれど、女性は女性で、名だたる高級娼婦達が一世を風靡したのもこの19世紀だ。

一対の男と女が(表書きには)互いの忠誠を誓う夫婦という関係は、いつの世でも大概どこかぎこちなく、微妙だ。守れるかどうか分からない約束を敢えてするようなものだから。自分の心に忠実であれば、大抵誰かを傷つける。それなら、自分の心の内を聞かなければよいのだろうか。

結婚は愛情の墓場というけれど、コントロールできない感情が愛だとすれば、確かに「誓い」は良かれ悪しかれ愛を別物に変身させるのかも知れない。

ゾラの愛人は、その名をジャンヌといったらしい。ゾラ夫人よりもずっと若い女性であったらしい。ゾラ夫妻の元で下働きしていた女中の1人であったらしい。

女性には明らかに旬がある。旬を過ぎた女性は、男性に対してどんな魅力を持ち得るのだろうか。

 

ゾラ夫人が、愛犬に対して自分のことを「ママン」呼ばわりしてる場面があった。隣の席の夫がこちらを向いて意味ありげに苦笑した。彼の母親、すなわち私の義母、も同じように、愛犬キャスパーに自分のことをママンと呼ばせて(?)いる。いわば、本番を済ませて今やおままごととなったママン役は、現役の時よりもずっと気が楽に違いない。小さな女の子がお人形相手にお母さんを気取るように、女性はいつでも、幾つになっても、潜在的にママンなのかもしれない。例え、ゾラ夫人のように子供がいない女性であっても、母性本能なんてあまり無さそうな女性であっても。