Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Chère Marie-Antoinette

La métamorphose de Marie-Antoinette à la Consiergerie

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もうすぐ終了するマリーアントワネットのエクスポジション(展覧会)。今朝、ほとんど無理矢理空き時間を見付けて滑りこんだ。寝不足と、ここ数日の忙しさで疲れいたけれど、1時間でも足を運んで正解だった。

 

私はいわゆるこのお姫様のファンではない。悲劇のヒロインというものに惹かれる性質でもない。けれども、民衆に憎悪され、罵詈雑言の嵐の中でギロチンにかけられ晒し者にされた彼女が、後世になってこんなにも華やかなフィーバーを呼び起こしているのは何故だろう?と、そこの所にとても興味がある。

 

そして、マリーアントワネットのことを思う時、繰り返し同じ疑問が頭を過る。

無知は罪?

贅沢は敵?

 

私は、子供と家の事で手一杯で、気が付くとニュースを見聞きしている暇も、新聞を読んでいる暇もない という事がままある。広い世の中で何が起こっているのか、知らない事が多い。消して興味がないのではなく、目の前の小さな私のモンド(世界 monde )だけで本当に簡単に手一杯になってしまうのだ。要は、要領が悪いとも言い換えられなくもない。

だから、時々身近な人間からお叱りを受ける。もっとアンテナを伸ばせ、世間に目を向けろ、遠くを見ろ と。確かに。でも、私にとっては、地球の裏側の戦争のことよりも、自分の子供の日常の方が差し迫ってずっとずっと重要なのだ。

世間知らずが恥であるなら、無知が罪であるなら、私だって充分マリーアントワネットになり得てしまう訳なのだ。

 

贅沢は敵か。

矛盾しているけれど、彼女がここまで贅沢三昧していなかったら、当時の民衆からあれほど嫌悪されることもなかったかも知れないけれど、それと同時に、ここまで後世で大フィーバーを巻きすこともなかったのではないかしら。

 

フランス語でナイーブ naïf/naïve という言葉は、往々にしてネガティブなニュアンスで使われるけれど、マリーアントワネットはまさにナイーブの象徴なのだろう。

「パンがなければお菓子(brioche)を食べればいいじゃない」というかの有名なセリフは、でっち上げであるらしいけれど。

 

展覧会ガイドの女性のフランス語は、独特のアクセントがあった。どこの出身かしら?と思ったらイタリア人だった。昨日のダヴィンチ展のガイドさんはアジア人の女性であったし、パリは全くコスモポリタンだ。

 

マリーアントワネットほど、一生のうちにありとあらゆる「極み」を派手に経験した人はなかな例を見ない とガイドの女性は解説する。

少女期にフランスに嫁ぎ、世間知らずのまま10代で女王の座に付いた。贅沢三昧と、田舎ごっこ遊びの日々。そして誰もが知る斬首台での最期。まさに、てっぺんから奈落の底へと急降下で転がり「落ちた」訳だ。

ところが、

それとは逆に、スピリチュアル的には、何不自由ない満たされた生活と度を越した天真爛漫さから、最期に向けて登り詰め、斬首台でその極みに達し女王たる高尚な魂を得るに至った とされている。両手を後ろ手に縛られ、コンコルド広場のギロチン台に運ばれる道々も、動じる様子もなく、打ちひしがれる訳でもなく、穏やかな表情であったという。

 

またひとつ疑問が頭をよぎる。

不幸は魂の糧なのだろうか。

不幸を知ってこそ、魂は神聖な高みへ昇る事ができるのだろうか。

なるほど、その最たる例がキリストなのかもしれない と、はたと思い立った。キリスト教における精神性の一端がほんの少し見えてきた気がする。

 

マリーアントワネットは、斬首刑が言い渡された直後、親愛なる義理の姉エリザベットへの最後の手紙にこうしたためている。

 

自責の念のない私の魂は、いつになく平穏です。ただ一つの心残りは、この世に残される我が子供たちのこと。J'existais que pour eux 私の存在は彼らのためだけにあったのですから。どうぞ、あの子達に伝えてください。Qu'il ne faut jamais chercher à venger notre mort. 決っして、この死刑への復讐を胸に生きてはいけないと。

 

 

パリは、ストとデモが相次ぐ麻痺状態が一ヶ月半も続いた。

王族を死にまで追いやったフランス人の熱き革命魂は、今日もまだ息づいている。