Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Zoo

10区でベトナムご飯。

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日本人ミュージシャン、T氏のミニコンサートに足を運んだ後のことだ。

 

歌手というよりは、今まで作家としての書き物の方にのみご縁があった。彼の処女作(多分?)、ピアニッシモは、当時ぞっこん熱を上げていた初めての恋人と回し読みした本の一冊だ。彼がいたく気に入っていたので、贈ったのを覚えている。私たちはその頃、高校生だった。

そのピアニッシモ氏が、どんな風に、どんな歌を歌うのだろう?そんな好奇心に駆られて出掛けた。

 

氏は、トレードマークの帽子、長靴を履いた猫みたいなおしゃれな赤いロングブーツと、草模様の刺繍(もちろん本当は木製なので刺繍なぞではない、刻み模様だ)の入ったギターを首から下げて現れた。

初めの一曲を聴いて、ふ〜ん、ハスキーボイスなのね と思った。知らなかった。その声をめいっぱいに張り上げて歌う。

ギターの腕にも目を見張った。

私は弦楽器を弾かないけれど、それでも腕がいいことがすぐ分かるくらい、とても上手で聞き惚れた。

 

歌手は歌が歌えて当たり前、ギター弾きはギターが弾けて当たり前なようだけれど、どちらも本当はすごいことなのだと私は知っている。中学生の頃、リコーダーひとつ満足に吹けないバッドボーイズ君達が、ギターを片手にバンドなんか組んじゃって楽しそうに演奏しているのを横目で見て、ギターはさぞカンタンな楽器なのだろうと思っていた。そしてある時、持ち歩けないピアノにちょっと愛想を尽かしたこともあって、ふと私もギターを弾いてみようと試してみた事がある。そして、こんなに難しかったの!と仰天した。まず指が痛い。ピンクの家事用ゴム手袋をはめて練習していて笑われた。友達に貰り受けたそのお古のギターは、そのままお蔵入りとなってしまった。

 

ピアニッシモ氏は、テレビに出演していたりするのを何度か拝見して、若かりし頃のとんがった感じがなくなったのかと思っていたら、そうではなかった。叫んで歌って聞いて欲しいことがたくさんある、ソウルフルな人なんだなと思った。時々ふと見え隠れする、何処かやるせなさそうな表情とは対照的に、歌っている時に見せる笑顔は最高に幸せそうだ。

 

クラリネットの女性も途中で加わり、その音色にも聞き惚れた。こちらも間違いなく本物の腕だ。

そこにさらにもう1人、男性の即興ダンサーも加わった。我が家のソファーの上に置いてある、IKEAの白い膝掛けを思わせる布をバタバタ振り回し、刺青の入った腕をクネクネ、長髪をばさばさ、メチャクチャダンスを踊るのが可笑しい。昔観たリンゼイケンプの舞踏を思い出すけれど、正直に言うとちょっと気恥ずかしいタイプのダンスだ。でも、こうも思った。パッションに突き動かされている人は、たとえちょっとカッコ悪くてもカッコいい。パッションなんてとうに忘れてしまったり、諦めてしまったり、始めから無かったり、ましてや嘲笑ったりする人に比べたら、どんなに恥ずかしくってもずっとカッコいい。

私もカッコよく生きたいと思った。

 

そして途中で一曲、ハッとする懐かしい歌が流れた。片手の指で数える程しか聞いた事がないのに、メロディーも歌詞も鮮明に覚えている。記憶が、ザザーっと音を立てて、猛スピードで後ろに引っ張られるように過去に逆行した。やはりセーラー服を着ていた時代に聴いた曲だ。歌詞が強烈に印象的で、好きだなと思ったのを覚えている。

片足で踏んばってる 失恋したフラミンゴ

おしゃべりなオウム 淋しいなんて呟いたりする

見てごらん よく似ているだろう 誰かさんに

 

家に帰って検索すると、ピアニッシモ氏が書いた30年前の歌であった。ちょっとした衝撃だった。30年経って、誰の歌う何という曲かを知った。タイトルは Zoo。

今日はだから、朝からそればかりをずっと繰り返して聴いている。

 

ライブが終わり、ステージを降りて、待ち受ける観客達のもとにやって来たピアニッシモ氏は、会場はファンと知り合いばかりのハズなのに、舞台の上にいる時よりも警戒した面持ちに見えた。気のせいだろうか。有名人であるのは、思ったより色々大変なのかも知れないと思った。

 

とにもかくにも、出掛けてみてよかった。

楽しい夜だった。