Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

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フランスに来て初めて口にした食べ物の一つに、キュイジーヌ・アンティエーズ (cuisine antillaise /アンティル料理) がある。

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カリブ海に浮かぶフランス領、アンティル諸島のお料理だ。ラム酒を砂糖きびシロップとオレンジジュースで割ったパンチ(punch) と呼ばれるカクテルを片手に頂くのが、ご当地風の流儀だ。

 

今日は久々に、夫が得意のアンティル料理 アクラ (acra) を作った。

塩漬け鱈(タラ)を一昼夜水に浸して塩抜きし、身をほぐし、卵と小麦粉と牛乳と膨らし粉を混ぜてまとめ、スプーンで形を作り油に落として揚げたもの。トマトとニンニクとタバスコで作ったピリ辛ソースを添える。

5年ほど前にふと思い立ち、レシピをネットで調べて作るようになった彼。それから回数と試行錯誤を重ねているので、面倒な作業も手付きに年季が入っている。料理は好きでも揚げものは得意でない私は、こういう日は快く (例え流しやコンロが凄いことになっていようとも) 夫に台所を譲って、油の匂いのしない窓辺でゴロ寝して出番 (皿洗いの) を待つ。

アクラは、丸い形と揚げたてのサクサクした食感、その上魚料理であることから、我が家ではふざけて「クロケット・ド・シャ」(croquettes de chat/キャットフード) と呼んだりする。

たくさん揚げたはいいけれど、がたいの割に小食の夫はそんなにたくさん食べられない。従って、彼よりも消化力のある私が結局ほとんど平らげた。油っこい口の周りを舐め、前足を舐め、お腹を天井に見せてソファーにゴロッと横たわり、これを書いている。

ああおいしかった。吾輩は満腹なり。

 

 

息子はと言えば、

外出制限期間に入ってからというもの、毎晩8時のバルコニーでの Flash mob を1日の締めくくりの楽しみとしている。

窓際での一斉の拍手喝采のことで、医療現場でパンデミー患者のために戦っている戦士達にエールを送ろうというもの。誰の思い付きだか知らないけれど、ラテン気質のフランスらしい素敵なジェスチャーだ。

拍手だけには留まらず、タイコを叩く人あり、口笛ふく人あり、まるで劇場のテラス席に居るかのようにブラボーと叫ぶ人あり。ほんの一瞬のお祭り騒ぎとなる。人影の無いゴーストタウンと化した街が、ほんの一瞬だけ精彩を取り戻す。息子も、パジャマ姿でジェンベ (アフリカ太鼓) を抱え、毎晩3分前にはバルコニーに飛び出してシンフォニーのスタンバイをする。8時を回る頃、誰かが窓辺で手を叩く。するとその隣の窓も、またその隣の窓も、その向かいのバルコニーも、といった具合に、鳩時計さながら人々が顔を出して手を叩く。あっと言う間に街が沸き返る。ウィルスなんかに負けない、人間の生の伝染力だ。麗かな春に、籠の中の小鳥のような日々を送っている息子にとって、外界と繋がる貴重な瞬間でもある。

そして、またすぐ、鳩時計さながらパタンパタンとあちらこちらの窓が閉じて、街はもとの静けさに戻る。息子もバルコニーの戸を締めて、お休みなさいの前の読書に戻る。

 

 

一方の私は、

最近のお気に入り、Eric-Emmanuel Schmit というフランス人ベストセラー作家の本を読み終えた。サハラ砂漠で神秘的な体験をした著者の実話を元にした小説だ。

クスクスという郷土料理が出てくるくだりで、「セモリナ (semoule) の柔らかいクッションに、肉や野菜の塊が宝石よろしく散りばめられていた」という表現に、脂で艶々と光るクスクスの一皿が目に浮かんでうっとりした。言葉巧みで唸らされ、読後感も心地よい。

そして今日から、アーミッシュ (Amish) に関する本を読み始めた。

キリスト教から派生した信仰を元に、文明の力に頼らず自給自足生活を送り、16世期の派生当時の生活様式を守り続けている類稀なコミュニティーだ。時代遅れのセクトだと奇異な目で見られたりもするけれど、例えば今日のような、あるいはもっと大きな危機が訪れた時、生き抜く力があるのは彼らのような人達であることは間違いない。