Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Métamorphose d’Ovide

世の中はどうなってゆくのだろう。

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今日も見事な五月晴れ。

こうも毎日気候がよいと、お日様の光で警戒心なんてすっかり溶けてしまいそうだ。「北風と太陽」の話を思い出す。引き続き充分警戒するようにと厳かに促されても、ぽかぽか陽気には降参だ。コートと一緒に心の鎧まで脱ぎ捨ててしまいたくなる。

 

今学期最後の国語 (フランス語) の課題図書として、息子はギリシャとローマの神話を編纂した「変身物語」(Métamorphose d'Ovide) という本を読み始めた。去年の9月の新学期の時点で、既にカリキュラムに組まれていた古典作品だ。

そのタイトルが示すように、神話に登場する人物の変身にまつわる様々なエピソードを集めたもので、水仙の花になったナルキッソスの話も含まれている。

前書きだけ読んでみても、当然のことながら métamorphose (メタモフォーズ / 変貌、変容) の言葉が頻繁に繰り返される。今日という日にこの作品を手にし、この言葉を繰り返し目にしようとは。タイミングを見計らって采配されたかのようだ。

 

この先、世の中はどう変わっていくのだろう。

どんな métamorphose が待っているのだろう。

 

人が生きていくのに必要なものはなんだろう?と考えると、それはすなわち、食べてゆくのに必要なものは何だろう?と言い換えられると思う。その問いの私なりの答えは、少なくとも2つある。

まずは土だ。母なる大地は命を育んで、私たちはその命を頂いて生きているから。土がなくては食べてはいけない。土が生み出す美しい自然は目の保養にもなる。

それからもう一つは人だ。人の心は人によって支えられ、養われてているから。人がいなくては心が飢えてしまうだろう。

フランス語で「食べる」という行為を指す単語はいくつかあるけれど、その中でも manger (マンジェ / 食べる) と se nourrir (ス ヌリール / 食べる、養われる、豊かにする) の2つが正にそれに当たる。体の栄養と心の栄養、その2つによって私達は生かされているのだと思う。

 

先週まで続いた2か月間のロックダウン生活中、意外にも私は緑に飢えていた。森に行きたい、土の上を歩きたいと体が欲していたし、目に映るコンクリートの街の風景がカサブタを被った色気ない土地に見えて仕方がなかった。

それまで大都会が好きだった理由は、人の動きがたくさあって、そのカルチャーが心の栄養になっていたからであって、一度それを取り去ってみると、いかにもう一つの大事な栄養が欠けた場所であるかが明らかになる。知ってはいた事だけれど、改めて事実を目の前に突きつけられた気がした。

 

もっと土に触れようと思う。今すぐできることと言えば、ベランダに鉢植えを増やす事くらいだけれど、取り敢えず初めの一歩はそれだけでもいいから。種を植えてみよう。息子にももっと土に触れさせよう。土のある場所に連れて行って、その上をもっと歩かせよう。一緒に植物を育てよう。食べられる植物も育ててみよう。

 

それから・・・

 

続きは長くなるのでまた次回。