Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Le bataille des dames

日曜の市長選でパリの現女性市長、マダム・イダルゴが再選された。

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先週末は、最終戦に残った3人の市長候補者のディベートがテレビで放映された。3人揃って女性。その上、意図してのことか、司会者も時々コメントを挟むジャーナリストも全て女性という華やかな構成だった。

私は聡明そうなマダム・ダティという候補者を密かに応援していたのだけれど、彼女は選出されななかった。どちらにしても、所詮政治に疎い私だ。

 

フランスの歴史をざっと眺めると、この国の過去には驚くほど女性のリーダーが存在しない。日本史には、邪馬台国の卑弥呼や数々の女帝が名を残しているし、お隣の国イギリスにはかの有名なエリザベス女王が君臨したけれど、並行してフランス史を辿ってみても、指揮を取る女性が一向に登場しない。イギリスとの戦いでフランスを勝利に導いた奇跡の少女、ジャンヌ・ダルクくらいだろうか。その上彼女は、ほんの一時の軍隊長くらいの位置付けだ。

 

今でこそ日本は男性優位主義の国として広く知られてしまっているけれど、その土台は意外に、フランスに比べると母系国家の要素が強かったのかも知れないと思う。日々の生活でそう感じることも時々ある。例えば、フランスで「かかあ天下」とか「女房の尻に敷かれる」といった表現にはなかなかお目にかからないものだ。

 

昨夜は、勝利した政党員の嬉々とした様子がブラウン管に次々と映し出された。

うろ覚えであるけれど、いつか、古代ギリシャだったか、それとも古代バビロニアだったかの本を読んでいたら、とある権力者の話が出てきた。我こそはとしゃしゃり出るのではなく、周囲に懇願され、本人としては不本意ながらも一国の長になった徳のある人物の話だった。彼の統治下では、平和な良い時代が続いたそうだ。

政治家というものは、立候補ではなく、周囲に適役だと背中を押され、頼まれて渋々なるくらいの人がいいのではないかしらと思うことがある。ついでに、高給を与える必要もないと思うと言ったら、「君は全く政治的センスがなさ過ぎる!」と、夫のような人には憤慨されそうだけれど。少なくとも、お金をたくさんやらなければ、お金のために政治家になる人がいなくなるではないか。

 

今朝は一連の時事を目にしながら、内心密かにそんな事を思っていた。