Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Musée de l’air et de l’espace

飛行機博物館という所に足を運んでみた。

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飛行場の近くにあるその博物館は、アール・デコ調の建物と広大な敷地内に、年代を追って数あまたの飛行機を展示している。壮大な量だ。決して子供騙しではない。

 

18世期に初めて気球を飛ばすのに成功したのはフランス人だった。巨大な風船と籐のバスケットは、現代の私たちの目になんともメルヘンチック。空を飛ぶ人類の夢をそのまま形にしたような、フワフワした飛行物体だ。その時代の快挙であった事は言うまでもなく、記念のオブジェがたくさん製造されている。記念の置き時計に懐中時計、日付の入った記念皿、記念のダイヤモンド入りの指輪、肘掛け椅子の背もたれや、木製箪笥の表面にも気球の絵が施され、挙げ句の果てはビデの陶器にまでも!記念に残すというのは、人間らしくて面白い行為だなと思いながら見入った。

19世期のフランスのポートレイト写真家として有名なナダールは、気球に乗る技術も心得ていていたらしい。彼が世界初の気球による上空写真撮影を行なっていたことも、展示を見て初めて知った。

 

まぁるい風船型の気球は、やがて船の形をした飛行船となり、着陸に必要な錨まで付いている。雲の海を渡る空の舟。詩情がある。

 

やがて羽を使った飛行技術も開発され、それが安定し始める時代から、展示物は戦闘機が大半を占めるようになる。初期の夢みがちな「空への憧れ」から、軍事用の乗り物への展開。展示物は一気に優雅さを失う。機体もグレーや迷彩色や、小悪魔の絵の付いたものまで。新しい技術が開発されると、人は必ずそれを戦いに役立ててしまう。マリー・キュリーの映画を見た時も思った事だけれど、人間の悲しい性だなと思う。

第一次世界大戦に使用された戦闘機が、大小様々な爆弾と並べて展示してあった。意外だったのは、そのプロペラが美しく磨き込まれた木製だったこと。その部分だけ、使い込まれた家具のような木の温もりが感じられて、殺風景な残りの部分と不釣り合いに見えた。ふと、第二次世界大戦では、英国軍が「日本の戦闘機はどうせ木と紙でできているに違いない」と嘲笑い、実際の戦闘で裏をかかれて痛手を負った逸話を思い出したりした。第一次戦では、最先端のヨーロッパの戦闘機でさえ一部は木でできていたのだ。

展示物を前に、年頃の男の子2人を連れた体格のよいムッシュウが、息子たちに熱心に戦闘機の説明をしている。きっと空軍の人だろう。フランスでは、軍に入隊して働いている人達が私の周りにも何人かいる。軍隊を持たない国に生まれた私にとっては、どうも不思議な感じがする職業だ。

 

なにせ広大な博物館なので、途中、おびただしい数の展示物を端折って先に進んだ。息子と夫がコンコルド機を見たいと言うので、パリNY間を3時間半で飛んだという、あの、とんがってすました感じの機体を眺め、VIPの気分で機内も見学し(ボディーが細いので機内も当然狭かった)、ついでにエアフランスの普通旅客機も展示してあったので中を覗く。機内に入った途端、あの独特の飛行機の匂いがした。本来なら珍しくもなんともない至極普通の旅客機。今年は本物に乗り損ねた。旅行に易々と出かけられた昨日までの日々が、すでに懐かしい。そこでマスク姿の息子を入れた写真を数枚撮り、「結局日本に発つことにしました。よい夏を!」というテキストを付けて、冗談に義理の母に送ってみた。(彼女とは8月に南仏で会うことになっている。) よくよく見るとMusée de l'air et de l'espace (飛行機博物館)と機体に書いてあるのだけれど、気が付くかな? 一瞬間があってから、「危うく信じるところだったわ!」と返事のメッセージが届いた。

 

博物館を出る前、出口の売店に寄る。昔、実家の本棚にあった、サンテクジュペリの「夜間飛行」を読んでみたいなと思って探したけれど、置いていなかった。その代わりになぜか「カモメのジョナサン」があった。先日のノルマンディー旅行を思い出しつつ、「記念に」一冊買って帰った。息子は、戦闘機の飾り用のおもちゃを欲しがったけれど、ママはそんなものは買いたくありませんと断った。そのかわり、家に帰ってから映画「紅の豚」(Porco Rosso) を観せてあげた。

と、言った具合に、飛行機三昧の週末であった。