Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Double vie

とても久し振りにサミアに会った。

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サミアは、モンマルトル寺院の近くに住んでいた頃の仲間の1人だ。

夕方、モンパルナス駅に近い約束のレストランの前で、雑踏の中、両手で自転車のハンドルを押さえ、白いシャツに身を包んですくっと立っているサミアの姿があった。相変わらずスラリと手足が長い。そこに彼女のトレードマークのハイヒールを履いているものだからますます長身で、背筋が伸びて姿勢が良く、遠目からも凛としている。特別なことと言えば、アナーキスト然り、その顔にマスクがないこと。そのイデタチで誰よりも自然に堂々としている。二十代の頃、取るに足らないと判断した仕事をすっぽかし、デスクの下で昼寝をしていて会社をクビになった彼女の精神は、何年経っても健在なのだ。道の反対側からそんなサミアを視界に認め、私はニヤリとなった。

 

久々に彼女を呼び出した理由は2つある。一つは、是非一緒に観に行きたいお芝居があったから。人気現代作家 Eric-Emmanuelle Schmit の手による、ショパンを題材にした舞台で、ピアノが上手で読書好きのサミアの気に入るだろうという予感があった。

2つ目の理由は、恋人エリックの後を追って、彼女も近々ノルウェーに引っ越すだろうと噂を聞いたから。パリにいるうちはいつでも会える気がして、それでかえって音信が途絶えていたこの頃だったけれど、北欧に行ってしまったらそう簡単に会えなくなる。

 

レストランのテーブルに着いて注文を済ませ、さっそく「この頃どう?」と訊いてみた。

オフィスワークには向かない と諦めた彼女は、それ以来、心理学者としてカウンセラーの仕事に就いている。パリの自分のキャビネ (診療所) に加え、大きな病院と提携して、週に何度か精神を病んだ患者たちの定期的なカウンセラーにも当たっている。

きっと大変な仕事だろうと想像するけれど、自分の現在の仕事は「ジャッドール!」(J'adore / 大好き) だと叫ぶ。幸せなことだ。「確かに、病院の人間は厄介だけれどね」と付け足すので、やっぱり精神科棟の患者さん達は複雑な人が多いの?と聞くと、首をぶんぶん振って「ノンノンノン!」人間がややこしいのは医者達のほう!と即答するので笑ってしまった。患者達の話を聞くのはとても面白いのだと目を輝かせる。カウンセラーとして、彼らとは極めて良好な関係を保っているのだとか。複雑なのは、頭が硬く融通の効かないドクターが多い事で、例えば「あのお医者はイカれているから言う事聞かなくていいのよ!」なんてオープンに患者達に言えないところが歯痒いそうだ。(非オープンに意見しているらしい。)

体裁を気にせず、雇っている病院側ではなく、あくまで個人の立場に身を置いて話を聞いてくれるカウンセラーが居て、サミアの患者さん達はつくづくラッキーだなと思った。

 

サミアは非常にスポーティーな人でもある。

パリに住みながらメトロやバスを殆ど利用せず、石畳の街を縦横無尽に闊歩する。どこにだって歩いて行く。それもハイヒールで!私にはとても真似できない離れ技だ。仕事上の時間の制約があるので、最近は足の代わりにヴェロ (vélo / 自転車) を活用しているらしい。もちろんハイヒールは変わらない。

パリにしては珍しい高層アパルトマンの20階に住んでいるけれど、それだって「もちろん」階段で登るんでしょ?とからかうと、「もちろん!」( bien sûr ! ) と返ってきた。やっぱり。運動は アディクティフだ ( addictif / 中毒性がある) とのたまう。

ほとんど毎朝ヨガもしているのだと言う。ついでに、最近出た、その名もYoga という題名の話題の小説が面白かったと教えてくれた。そんな風に読書指南してくれる人は貴重でありがたい。

 

気になるノルウェーへの引っ越しの件も振ってみた。「天職を見付けて誇りに思っているし、仕事が面白くてワーカホリックだから、多分ここに残ると思う。」もう頼まれたってデスクの下で昼寝なんてしないようだ。それでも、引っ越しの可能性を完全に排除した訳ではないようで、実は明日から10日間ほど、かの地に渡ったエリックの元に遅いヴァカンスに発つのだと言う。近い将来のための下見かな?

仲間内の間では エリックとサミア ( Eric et Samia / エリック・エ・サミア) はすっかりワンセットになっていて、まるで「エリッケサミア」という一つの単語が存在するかのように、ずっとテンポ良く発音され続けてきた。その響きが2つに分解されて、別々に話題に上るようになるのは、古い仲間としては少し残念な気がしていた。でもどうやら、このエリッケサミアは今後も暫くは「つづく」ようだ。ホッとする。

 

食事の後のテアトルは、ショパンのピアノ曲の生演奏が散りばめられた幸福なひと時だった。かつて妻子ある人に心を寄せ、愛人として薄幸の恋に身を焦がした女性の独白が心に残った。

 

「ショパンの音楽が私を“慰めて”くれたかですって?とんでもない!ショパンは私を“解放”してくれたの。私の愛する人が二重生活を送っていたように、私にも2つの人生 (double vie) があったの。影としてあの人と歩んだ人生と、ショパンのピアノを弾いて過ごした満たされた人生と。」

 

人は人に生かされているのは事実だけれど、だからと言って生身の「誰か」を頼りに生きては不安定極まりない。それよりも、自分にとってもっと不変の「何か」を見付けることだ と、常々思っている私だ。私の横に座っていたサミアだって、それを知っていて、さらに、それを実現している人なのだ。時々しか会わないけれど、私にとって大事な友だ。