Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Le temps

我が家の壁時計には秒針がない。

 

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それなのに、今夜はトツトツと時を刻む音がする。

そう、毎日続くこの秋の長雨で、夏の間すっかり忘れていた天井の雨漏りが戻ってきたのだ。年季の入った古い建物の多いフランスではよくあること。規則正しく秒を刻むのは、その水滴の音。イソップ物語のキリギリスの気分になる。夏の間は呑気に歌って過ごし、寒さがやってくる頃ハタと我に返る。

でも実はちょうど、時間ってなんだろうと考えていたところだった。そもそも時間なんて本当に存在するのかしら?と。

 

古代ギリシャ時代の都市アテネでは、選挙の候補者達の演説時間を計るのに、2つの水瓶を使ったそうだ。ひとつ目の瓶の水が2つ目の瓶に流れ落ちるまでが演説時間。どの候補者にも公平に時間が配分できるという訳だ。さすが、デモクラシーが産まれた地アテネだ。

 

言葉と同様に、時間は人間の最大の発明品かも知れないなと思う。だから昔から時計というオブジェには惹かれる。時間という見えないもののレクチャーを可能にしてくれるからだ。それにしても、アテネの人々が水で時間を計ったように、やはり時間は「流れる」ものなのだろうか。

 

台所に萎びかけたザクロを見つける。冷蔵庫の引き出しの奥にしまっておいて、すっかり忘れていたのだ。取り出して古いアンティーク皿の上に載せてみる。古いもの同士、味があってなかなか絵になる。その瑞々しさを失い始めた果物を眺めながら、形あるものには確かに時間が存在するのだなと思う。では、形無いものの時間は一体どんなだろう?

 

昼間に父と電話で話して、親愛なる伯父が発熱して床に伏していると聞いた。

人にとって時間の貴重さは、時計ではなく、往々にしてその人にとって大事な人の存在が教えるものだと改めて思う。

 

東の夜空を見ながら願う。どうか早く元気になってください。