Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Promenade hivernale

キリリと冷たい晴天の日曜日。

 

f:id:Mihoy:20210111215423j:image

 

冬の日こそ、稀少なお日様が照ると部屋にいるのがもったいように思えてじっとしていられない。寒空の下、キックボードに乗って疾走する風の子のような息子をお供に、友人と待ち合わせたセーヌ沿いの公園に足を運んだ。

 

遠目に見る川沿いの裸の木々は、鳥の巣のような丸いモジャモジャを枝にいくつもくっ付けている。日本ではヤドリギ、フランスではギー (Gui)  と呼ばれる寄生植物だ。葉っぱをなくした淋しい木々達の恰好のアクセサリーである。太古の昔、かのガリア人達 (日本で知られるところのケルト人) がこの地に生きていた時代には、ヤドリギは聖なる植物として崇められていたという。ドルイドと呼ばれる白装束の賢人達が鎌を手に木に登り、高みに茂るこの常緑の枝を採集したそうだ。現代では年末年始のフローリストの軒先などに並んでいる。どことなく神聖でミステリアスな風情が漂うのは、古の逸話があるからだろうか。根のない植物の強い生命力はどことなく奇怪でさえあり、秘密めいた印象を与える。黄緑の楕円型の葉を茂らせ、枝の間に森のパールといった風情の半透明の白い実を付ける。その白濁具合が年老いたドルイドの煙がかった聡明な瞳を思わせなくもない。

 

セーヌに浮かぶ島状の公園をぐるりと巡った。足元の草はところどころ霜の銀色に覆われ、花も葉もない枯れた藪には赤や黒や紫の小さな実がたわわに実っていた。人気ないかと思えば、お日様の光にほだされた恋人達や家族連れが思ったよりもたくさん散歩している。園の入り口に立てられたパネルによると、この土地は中世時代には教会 (の司教) を領主とした動物の飼育場であったそうだ。どんな動物を飼っていたのかは記載がなかった。この広い草の上に放し飼いしていたのかしらん。古代のガリア人の後には、中世の封建制度下の農民の暮らしに想いを馳せた。

 

冬の午後の太陽はさっさと西の家に帰ろうとするので、寒さに耐えきれなくなった私達も公園に程近い友人宅に陣を移し、ティーカップで両掌を温めた。

寒い日の温かい飲み物は幸せそのものだ。一口啜ると凍えた体の細胞が一つづつ緩んでゆき、やがてゆっくりと息を吹き返すのが分かる。カップから立ち昇る湯気を眺めながら、ふと、火をおこす技術を得ていなかったら、人間も今頃は他の動物達のように大人しく冬籠りしていただろうなと思った。こんな凍てついた季節に外界に躍り出ようだなんて突飛な考えだ。夜8時以降の外出制限なんてまるで発布の必要がないくらい、とっぷりと暗い夜などは窓から顔さえ外に出す気になれない。ノエルが過ぎ、年を越し、冬の華やかなお祭りは一通り過ぎた。これより春までしばらく沈黙の季節だ。例年より遅れてやって来たこの寒さは、まだまだ続きそうな気配だ。