Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Bonsaï Banzaï ?

夫の買い物 其の三

 

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友人カップル、ピエールとアデルが今週末に結婚する。

今まで結婚しているも同然に一緒に暮らしてきた2人。既に子供も2人いる。

フランスは結婚しないカップルが多いけれど、最近は随分後になってから今更のように籍を入れる人達が増えた気がする。結婚が流行らなかった時代に一区切り付いて、逆に最近は、正式に「契約する」ことが新鮮になってきたのかもしれない。もちろん、その後それを破棄するカップルも依然として多い。

 

お年頃の娘を持った義理の姉に言わせると、ティーンエイジャーの間でも、相手を変えずに長いこと同じ人と付き合うタイプの男女交際がこの頃の流行りだと言う。「私達が若かった頃と傾向が違うのよ。みんな若いくせに夫婦みたいよ」と笑う。確かに私がパリに来たばかりの頃は、軽いノリで忙しくあの人この人と付いたり離れたりしているが輩が多かった。さすが恋愛大国フランスだと思ったものだ。

 

とにかく、そんな訳で友人カップルの結婚祝いのプレゼントを探すことになった。

ところが困ったことに、生活必需品 (すなわち食料品) を扱う店以外は現在軒並み閉鎖されている。ショコラとシャンパンを組み合わせるか、フローリストは開店しているのでブーケにするか。選択の余地があまりない。

 

夫に言わせると、マリアージュの贈り物は形が残って消えないものでなくてはならないとのこと。例によって夫は、出来るだけ大きくて存在感があって、いかにも象徴的なものを贈らねばと思っている様子。いかにも夫らしい。

通常のマリアージュならまだしも、私から見るとピエールとアデルの入籍はもっとずっと気楽でささやかな印象だ。パンデミックを別にしても、初めから教会で挙式の予定などもなかった。そもそも形式ばったことを好む2人ではない。それに、美意識の高い彼らは、いたずらにアパルトマンの中のモノを増やしたくない筈だ。そんな反応を返していたら、夫は聞いているのかいないのか急に いいアイディアがある と叫んだ。ケスクセ?

「Bonsaï にしよう!姉さんの結婚祝いにも贈って喜んでもらったから、今回もボンサイがいい。これで片付いた!」

 

義理の姉のアンは、長年連れ添ったフランクと2年前にやはり今更のように籍を入れた。市役所で、家族だけを招いて極内輪のマリアージュセレモニーを行った。いつも、例え相手が家族であっても、プレゼントときたら何を贈ったら良いか困り果てる夫。通りがかりのフローリストで試験的にボンサイ(もどき) が売られていたのを見て、これだ!と閃いたらしい。大きくて、長続きして、象徴的である。しかし、その物々しくマニアックなプレゼントを受け取った時のアンの表情は、私にはあまり喜んでいるようには見えなかったのだけれど。。。

 

ネットで調べると、パリにはひとつふたつボンサイの専門店があった。植物なんてまったく興味のない夫がボンサイで一件落着させたいと言って聞かないので、車に乗り込み、家族で向かった。本当はパパと息子で出掛けて欲しかったけれど、あの2人はどんなものを選ぶか信用できない。(過去にガックリした経験が何度かある。) 盆栽とくれば先方には当然私のアイディアだと思われるだろう。「私達から」の贈り物だと言いながら、私の気に入らないプレゼントを差し出すなんてことは避けたい。

 

車中、やんわりと脅しを入れる。

盆栽ってすごく手が掛かるって知ってる?ピエールとアデルに園芸の趣味があるなんて聞いたことないけど?日本では定年退職して悠々自適の人たちが楽しむ渋いホビーだって知ってた?高尚な楽しみでお金もかかるのよ。彼らの新装アパルトマンのインテリアに合うかしらね?だいたい、好みかどうかわからないモノを贈るのってどうよ?

 

目当ての店に着き、陳列された小人の木達を見て回ると、小人には釣り合わない大きな値段が付いている。ほらね。

その上「次の植え替え時期」が記された札が、産院で生まれたての赤ちゃんの手首に付いた名札ブレスレットのような要領で、それぞれのボンサイに括り付けてある。そう、手入れのいる生き物だから、店にとっては養子に出すようなものなのだ。

植え替えが必要なんですか?と尋ねた何にも知らない夫に向かって、若い男性定員はすまし顔で一息に答えた。「ウイ、ビアンシュール、ボンサイですから植え替えて、根を刈って、剪定して、肥料をやって、ちゃんと手をかけてやる必要があります」

さすがの夫も一瞬ひるんだ様子だったけれど、カウンターの上にあった「盆栽の育て方」の本に目を留めて、これを一冊付ければ解決だと喜んだ。一度決めてしまった事はもう決して迷わない、迷うのは面倒で嫌いだ、迷いは時間の無駄に他ならない、というのが夫の常々の信条なのだ。それが良い方に転ぶこともあれば、悪い方に転がることもある。

私のほうはあまり気乗りがしなかった。欲しがっているかどうかも分からない相手に、ペットをプレゼントするようなものだ。好みに合うかどうかも分からない。困ったプレゼントにならなければいいけれど。

それでも夫はここまで来たんだからここで決めてしまいたいと言う。贈ってしまえば、後は野となれ山となれ。その後は受け取った人の問題だと言う。まったく呆れたプレゼントの選び方だこと。

結局、あれこれ品定めして、大きすぎず小さすぎず形よく、クリーム色の長方形の鉢が比較的モダンなものを最終的に選んだ。剪定鋏もセットで付けたかったけれど、結婚するカップルにハサミは縁起が悪いだろうと思って辞めにした。

 

私はもともと植物とは相性が良いので、持ち帰ったボンサイを取り出してみると既に愛着のようものなさえ感じる。煙たがられずにちゃんと愛されて育ちますように と、送り出す前に小人の木に願っておいた。

今思い出すと、私の父方の祖父は昔庭に盆栽を育てていた。子供の頃の私はろくに興味も持たなかったけれど、今頃話ができたのなら、今日の一件のことを話して笑ったり、手入れの仕方も教わったのになと思った。

 

それにしても、一度決めたら迷わない夫は、そういう風にして私とのケッコンも決心したのだろうか。もう面倒くさいからここで決めてしまえと?迷いがあっても切り捨てて?

うーむ。

 

あさってはこの子 (ボンサイ) をピエールとアデルの家に届けに行く。

さて、新郎新婦の反応はいかに?