Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Maison de Victor Hugo

息子を連れて、ヴォージュ広場に面するユゴーのアパルトマンへ

 

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それはもう、氏の頭の中に案内されたような空間。

めくるめく色彩と模様。隙間を埋め尽くすように配されたシンボルとオブジェ。壁に堂々と刻まれた VH のイニシャル。黒々と重厚な木製の家具は、家の主に似てどれも考え深げな佇まいで、ねじったような彫刻模様が施されている。古今東西の森羅万象をぎゅっと詰め込んだような場所。

 

木製の螺旋階段を登って到着し、最初のカナリア色の部屋を横切ると、壁もカーテンも鮮やかなルビー色の部屋に通じる。窓辺にはアデル夫人の肖像画。棚の上には、セーヌ川でフィアンセと船遊び中に命を落とした愛娘レオポルディーヌの絵。

私達の後から部屋に入ってきたムッシューは、真っ直ぐこのタブローの前にやって来て、やあ君はここに居たんだね という具合に、「サリュー、レオポルディーヌ」と人目も憚らず絵の中の彼女に挨拶していた。赤い服を着て髪に赤い小花を挿したレオポルディーヌは、振り向いてこちらを見ている。僅かに微笑んでいるような、微かに眉根を寄せて当惑しているような。不思議な表情。

 

黒と緑が基調のメインの大広間はすっかりチャイナ風で、圧巻の一言に尽きる。壁にも天上にもオリエンタルな花々が散り、足元のペールブルーの絨毯にはイバラの花模様が広がっている。暗色の壁面に目を凝らすと、ドラゴンが飛び交い、どこか知れないアジアの国の神話の登場人物達が舞う。唯一無二のインテリアだ。

壁の中央の真っ赤なマントルピースは、その周囲に中国製の皿がびっしりとゲートの形に飾ってあった。反対側の壁には、シンガポールでよく目にした海の女神、マソ様らしき白磁の像が一対。

ユゴーは自身をアテ(無神論者)と言っていたようだけれど、至る所にイコンや神棚と思しきものが点在し、否定し難いスピリチュアルな気が漂っていた。

 

大広間に続く部屋はまた趣向が一転する。トロピカルな植物の模様が、壁もカーテンも天井もすっかり占拠していて目眩さえ覚える。まるで、印刷された文学の森の熱帯地方に迷い込んだよう。古い置き時計や曇った鏡が、過ぎ去った長い時間を物語っていた。

 

目の覚める瑪瑙のようなグリーンの部屋には、ユゴーの大きな肖像画が掛かっていた。その部屋の窓辺にあった椅子に腰掛けて、我が息子は流行りのポピット (Pop it) なるシリコン製のおもちゃで暇を潰し始めた。こんなに個性的で強烈なインテリアが目の前に広がっていると言うのに、彼の関心は手の内の小さなガラクタ一点。絵の中のユゴーが片腕で頭を支えて呟いていた。

「やれやれ、最近の子供ときたら」

全く同感。

でもね、ムッシュー・ユゴー。息子のオモチャは、実は貴方のコレクションと同じ中国製なんです。いつの時代も、メイドインチャイナは手を替え品を替え私達を魅了するようですね。

私の弁解が聞こえたのか、氏はますます頭を抱えていた。

 

最後の部屋、寝室には、停泊している船のような天蓋付きベッドがあった。愛人ジュリエットの後を追うようにして、氏はこのベッドで息を引き取ったようだ。

マロニエの木が覗く窓には分厚い緋色のカーテンが下がり、それを閉じれば昼でもすっかり夜になるのに違いない。同じ色合いのビロードの肘掛け椅子が、部屋の真ん中に、誇らしげな大輪の薔薇のような具合に置いてあった。ここで読書することもあったのかしら。

 

再び螺旋階段で下界に降り、出口に設けられた小さな売店を物色する。ユゴーの著書に混じって、レミゼラブルのマンガ版などというものも置いてあった。日本のマンガをフランス語訳したもの。息子はそれを欲しがったけれど、ユゴーへの冒涜 ( ? ) のような気がして、私は首を縦に振らなかった。目が顔の三分の一を占めているようなコゼットには、ユゴーの読者として抵抗があった。いつかぜひ原作を読んで欲しいものだ。

 

お終いは併設のモダンなカフェに留まり、ツヤツヤの苺のタルトとアールグレイでタイムスリップの時差調整をしっかり行ってから、この場所を後にした。上階は19世紀、地上階は21世紀。そんな様子の瀟洒なアパルトマンだった。

 

ユゴーの家は、センスがいいとか悪いとかそういう次元ではなく、他所に類を見ない圧倒的な異空間だ。毛足の長い絨毯が足音を吸収し、重厚な香りなき薫りが漂い、氏の激しい創作意欲が渦巻いている。

またいつか、今度はぜひ1人で訪れたいと思った。