Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Petite pensée nocturne

夜、窓の向こうで、雨が地を打つ微かな音がする。

 

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晴れの日が好きだけれど、久しぶりに降る雨には心がほっと安堵する。

挽いたコーヒー豆に、回しかけたポットのお湯がじわじわと染み込むように、黒い土に細かい雨がしっとり染み込んで、根を潤した植物達が、闇の中で息を吹き返しているのが感じられる。

ここのところパリは素晴らしいお天気が続いた。 しかし、それと同時に大気汚染も悪化の一途を辿っていたので、まさに今夜は恵の雨だ。

 

お向かいのヴェロニック一家の窓は、すでに灯りが消えている。 先日立ち話をした時、「なるべく11時までにはベッドに就くようにしているの」と話していた。 日暮れの早い季節は、眠気が襲うのも早いので、10時に寝てしまうこともあるらしい。 10時ですって!

 

私の場合、夏であろうと冬であろうと、0時前に床に就くことは滅多にない。 子供が寝付き、台所を片付け、1日の仕事が済んだ後、やっと純粋な自分だけの時間が来るというのに、そんな貴重な時間に眠ってしまうのは惜しいと思ってしまう。

 

ヴェロニックに言わせると、「何かやりたい事があるのなら、翌日の昼間にすればいいじゃない。 」

昼間の時間を「自分の時間」に充てることは、現在の私の生活ではなかなか難しい。 私だけに限らず、それは多くの人にとって言えることだろう。 かくして、自分用のオマケの時間はどうしても夜になる。

ヴェロニックは、今日という日に執着するなどという愚かな真似はしないようだ。今日という一日に自分の時間をどれだけ確保できたか?なんていう疑問は、羨ましいことにあまり浮かばないらしい。家族のこと、子供のこと、家のこと、それさえきちんと済ませられれば、他のことをしようなどという欲張りな感情は持たない。確かに、それが賢明だと思う。「それ以外のこと」をしようとするから、日々慌ただしく、睡眠時間は短く、1日が24時間では足りないのだ。

 

友人エドウィッジにしても同じこと。

若い彼女は、3人の子供を持つ良きママンだ。長男の習い事に、次女の勉強の世話に、末っ子のお弁当作りにと、いつも忙しく駆け回っている。その上、敬虔なクリスチャンの彼女は、教会のミサの手伝いをしたり、学校の保護者会の委員に名乗り出たり。いつか「自分のことをする時間が欲しいと思わないの?」と訊いてみたことがある。子育てというプロジェクトが終了するまでは、別のことをしようなどとは夢にも思っていない風だった。

 

子供を育てるのは、世間にはそうと認めない人も居れど、それだけで立派な一仕事だ。邪念を持たず、専念するが賢明。それができずに、息子の24時間と自分の24時間を同じ1日の中に確保しようとするから、私はヒートしてしまうのだ。分かってはいるけれど、欲張りなのでどうしようもない。

 

外は雨が止んだようだ。

もう眠いけれど、私の夜の「おまけの時間」に、少しだけ読書してから休むとしよう。