Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Faiblesse des hommes

男の人の弱さとは

 

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本来ならば、満月の夜。

昼間から曇り空で、湿った風が吹いていたのが、夜になり激しい嵐になった。満月まで吹き飛ばされて姿が見えない。

 

乱暴な風が、居間のガラス窓目掛けて思いきり身を叩き付けてくる。バルコニーのオリーブの木を荒々しく揺さぶり、根こそぎ引っこ抜こうとする。ガタガタ、ひゅうひゅう、バタンバタン。なにやら奇怪なことが起こっても不思議ではない、ただならぬムードの晩である。

 

そんな夜、ちょうど息子に、19世紀のフランス人作家、テオフィル・ゴーチエの「奇怪小説集」の一編を読んでやることになった。今学期の課題図書だと言うのに、小説が苦手な彼は一向に手を付けようとしない。ちょうど私が興味をそそられていた作家だったので、食後にソファーで肩を並べ、一緒にページをめくってみることにした。

 

嵐の夜に、主人公が招かれたノルマンディーのお屋敷で、家具やコーヒーポットが勝手に動き出し、壁の肖像画に描かれた人物達が這い出してきて、時計が真夜中を打つと彼らの舞踏会が始まる。そんな場面が描かれていた。

真夜中と言えば、宵っ張りの私が毎晩目をパッチリさせている時間。命を吹き込まれたオブジェにしてみても、現代人の私達にとっては、奇怪どころかどこか可愛らしいくらいだ。と、言ったら、大作家ゴーチエは気を悪くするだろうか。ホラーの類なのかと勘繰って尻込みをしていた怖がりの息子も、ちっとも怖がらなかった。

 

夜が更け、風はますます激しい。

普段は横着な夫が、就寝前に珍しく窓という窓の戸締まりを点検している。風にもぎ取られぬよう、バルコニーのストールもしっかり巻き上げる。いつになく神経質な様子なので、「さては嵐が怖いんでしょう?」とからかうと、意外にも否定せず真顔で「強風は嫌いなんだ」と返ってきた。おやおや。

田舎の家の巨大なムカデも、いつか入られたと言う泥棒も怖がらない人が、強風が苦手だとは面白い。家の中にいる限り、嵐が決して苦手ではない私。夫の意外な一面を垣間見た気がした。本人に記憶が無いとしても、彼は子供時代に強風で怖い思いをしたことがあるのかも知れないな と、思った。

 

怖いの怖くないのと言えば、

キャロリーヌの恋人は稀に見る強靭な精神の持ち主で、他人に涙一つ見せた事がないどころか、泣き言の一つも決して言わない。

ところが、である。

先日、南の祖国に渡るにあたって、ワクチンの接種を受けざるを得なくなった彼。生まれてこのかた医者にかからず、薬一粒飲んだ事がなかった彼は、ワクチンの痛みと、自らのポリシーを曲げざるを得なかった屈辱に、涙一粒落としたのだそうだ。なんとまあ。大の男の涙のメカニズムは、どうやら複雑なものらしい。

 

もう一つは、父のこと。

例の、父の家に居候を決め込んだ絵描きの女友達と、何やら少なからず気まずい様子が伺われ、娘としては少し心配している。その調子でいつまで世話をするつもりなのだろうと、気掛かりだ。

彼女には他に友達はいないの?と聞くと、「知らない」という返事。基本的に、父は「向こうが言わないことは聞かない」と決めているらしい。相手が言い出せないことは、こちらが引き出せばよい と思っている私とは、傾向が違う。

それなら、誰かお父さんの友達に相談してみたら?と提案すると、何を相談するんだ?と逆に訊かれてしまう。「言っても仕方のないことは人に話さない」のだそうだ。それ以上返す言葉に詰まって、私は黙った。

往々にして、話すこと自体を解決の一つに換算しがちな我々女性とは、明らかに考え方が違うのだと知った。話さずにいられるというのは、男性らしい強さだろうか?それとも、実は弱さだろうか。

話すことで少しでも緊張が緩むのであれば、これほど手軽でお得な方法は他にない と思うのだけれど。思わず考え込んでしまった会話だった。

 

さっき風の合間に満月がチラリと覗いた。

ムードのある夜だけれど、何時まで待ってみても、ゴーチエの短編小説のような面白い超常現象は起こらない。なーんだ、つまらないの。それならさっさともう寝てしまおう。