Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Madeleines de dimanche

ときどき作りたくなるらしいのだ。

 

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日曜の午後に一念発起して、

3年に1度くらいの、夫のマドレーヌ。

 

確かに、お菓子作りには、ある種の癒しの効果があると思う。

卵の黄身にお砂糖を加えて、泡立て器で混ぜる時の色やテクスチャーの心地良さ。バターがいかにもゆっくり溶けていく様子。ボールに小麦粉の雪を降らせた光景。上手に泡立ったメレンゲの感動や、バニラビーンズのうっとりするような香り。おまけに、お菓子はオーブンの中でふっくら膨らんだりする。そういったものが、目に耳に鼻に、小さな幸福感をもたらしてくれる。

そして、お菓子は「甘い」というところが肝心。甘美という言葉があるけれど、幸せの味は甘いのだ。

 

毎日キッチンに立つけれど、私はお菓子をあまり作らない。時々お菓子を作ったのは、初恋をしていた中学時代くらいだ。

料理の中でも、お菓子には特にルールがある。レシピに従わなければ上手に出来ない。勘とか経験とか思い付きでもって、当てずっぽうに作るのを好む私は、お菓子作りにはあまり向かないのだ。

 

一方の夫は、キッチンという研究室の真面目な研修生。レシピに沿ってひとつひとつの過程を踏み、たどり着くべきところにたどり着くのを好む。私の料理が「遊び」とか「冒険」に似ているのに比べて、横道に逸れない夫のお菓子作りは、失敗のない実験。きっと「癒し」にもなり得るだろう。

 

定型を踏む安心感。文学に例えたら、このお菓子は、日本の短歌や俳句に似ているのかもしれないな と、貝の形のシリコン型を見ながらふと思った。ふわふわとファンタスティックなお菓子達は、その見かけによらず「気まま」を嫌うものだ。

 

お皿に山盛り並べた黄色いマドレーヌ。全部ひとりで食べるつもりらしい。

夏のビーチは今や遠く、水着はタンスの奥。それでお菓子も解禁という訳。

流しの底には、ボールと泡立て器とマドレーヌ型が放ったらかしてある。台の上には、小麦粉と砂糖の袋がパックリと口を開けたまま。こちらも、たまには一念発起して片付けてもらうことにしようっと。

なにも見なかったフリをしてソファーに戻り、本を読むフリ。外はよく晴れて、窓から夕日が射し、台所からはマドレーヌの香り。甘美な日曜日。