Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Anniversaire Chou-Fleur

カリフラワーのはなし

 

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今朝、目を覚ますと、濃い霧に覆われた街が眠たげに霞んでいた。パリの霧は珍しい。

 

吐く息が白い季節になると、うちにも暖炉があったらいいのになぁと思う。

近所に住む義理の姉、アンの家には、ガラスの扉の付いた小さな暖炉がある。友人夫妻、アデルとピエールに至っては、パリのアパルトマンと田舎の家の両方に昔ながらのどっしりとした暖炉がある。羨ましい限り。友人ソニアのアパルトマンを訪ねると、茶目っ気たっぷりに、暖炉に火が燃えている映像を居間のテレビに映し出してはウィンクしてみせる。「大切なのはムードよ。」パチパチと火がはぜて、まるで本物のモダンな薄型マントルピースが置いてあるかのように見える。

 

我が家には暖炉がない代わりに、冬もキッチンの大きなオーブンが大活躍する。薪をくべる代わりに、ざく切りの根菜や、糸で縛った豚肉の塊や、丸ごと放り込んだ鶏肉などをジリジリと焼く。熱いオーブンの中のオレンジ色の光を覗き込む気分は、暖炉の火を見つめる時のそれに少し似ているだろうと、勝手に擬似体験している。

 

さて、昨夜は夕食にカボチャと玉ねぎとカリフラワーのグリルを出した。カボチャにはシナモン、玉ねぎにはクミンシード、カリフラワーにはタイムの粉をそれぞれ振ってある。我が家の台所のオーブンの横には引き出しがあって、上から2番目の段はスパイスの瓶がぎっしり詰まっている。そこから色々取り出しては、香りを嗅ぎ、調合してみたり、振りかけたり、そんな作業が魔法使いになったようで楽しい。

 

テーブルについた息子は、自分の皿に盛られた野菜をまじまじと眺め、それから苦手なカリフラワーだけ摘んでパイレックスの大皿に追い返した。せっかくママンが料理したというのに。

「食わず嫌いって言葉、知ってる?」と聞くと、「カリフラワーはおいしくない」と口をへの字にしてみせる。概して子供に不人気のブロッコリーの次に嫌いな野菜のようだ。可哀想なブロッコリー。哀れなカリフラワー。

大好きなカボチャや玉ねぎを瞬く間にパクパク食べ尽くした後、まだ何か食べたいとご所望するので、再びカリフラワーを一片皿に置いてやった。ママンの嫌がらせ。しばらくの押し問答の後、息子はそれをいかにも嫌々ながら口にして、眉根をしかめて噛んではゴクリと飲み込む。大袈裟だこと。ところが、ご馳走様を言ってフォークを置くかと思えば、さっき追い返した大皿のカリフラワーを自分の皿に次々と盛り始めた。「ほらね?おいしいでしょ?」と笑うと、決まり悪そうに俯いて笑っている。さては、クミンシードの魔法が効いたかな?

 

私が幼かった頃、例えば小口葱などは、幼稚園の鴨の食べ物に思えて好きになれなかった。ピーマンの独特の匂いが嫌いだったし、他にも苦手な野菜がいくつかあった。小学校に上がって、舞茸を初めて口にした時に嗅いだ香りのショックは今でも忘れられない。それらの食べ物は、その後、然るべき時間をかけてだんだん好きになっていった。雑食動物の人間も、初めから全てを受け入れられるようにできてはいないのだと思う。この世に生まれ落ちてから、しばらく調整の時間が必要なのだ。

 

息子がカリフラワーを好きになった記念日。これも一つのささやかな成長。

お次はブロッコリーをどう料理しよう?と、ママンは密かに企んでいる。緑のペーストにして、アスティコ(青虫)風パスタを作ったら、食べてくれるかしらん?