Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Marcel après Marcel

昨日のマルセル

今日のマルセル

 

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昨日、息子と一緒に、マルセル・パニヨルの小説を元にした新作映画、Le temps des secrets を観に行った。

南仏で過ごした自身の少年時代を描いた「マルセルの夏」は有名。今回の作品は、その続編の一つに当たる。

 

スクリーンに映るは、焼けつく太陽の下に広がるゴツゴツと石灰質な白い丘、そこにしがみ付くように茂る乾いた低灌木。香草の香りと蝉の声。なかなか暮れない黄昏時に、テラスでテーブルを囲む賑やかな食事。まさに、私達が夏休みを過ごす南仏お馴染みの風景だ。

 

田舎の少年リリーと、都会の子供マルセルの夏休み毎の再会を軸に、今作では、イザベルと名乗る貴族の女の子が登場する。彼女に淡い恋心を抱くマルセルは、次第に親友リリーから遠ざかり、足繁くイザベルのお屋敷に通うようになる。物心付かない頃の恋と友情は、往々にして相容れないものだ。

 

しかしある日、気高いイザベルの自慢話が、実はすべて彼女の創り上げた御伽噺に過ぎなかった事を知ったマルセル。彼女の嘘に失望し、踵を返して親友リリーの元に走り去ってゆく。屋敷を後にして、逃げるように丘をひた走るマルセルの沈んだ顔に、やがて夢から覚めたような微笑みがくっきりと浮かんだのが印象的だった。

恋は去れど、友は残る。恋は足かせ。恋は病。呪文が解ければ自由の身。丘を走るマルセルの姿に、「解放」という言葉が浮かんだ。

 

マルセルのパパは、村のパン屋の売り子の女性に仄かな恋心を寄せるも、家族に勘付かれて苦い思いをする。

マルセルのママンは、何やらめかし込んで町に出かけて行くけれど、異性との逢い引きなんぞではなく、女性ばかりのフェミニスト集会にこっそり通っているという次第。女性の地位が今とは違っていた20世紀初頭の話だ。

男性がお洒落をするのは恋の証。一方、女性が着飾るのは、同じ女性の目を意識してのことも多い。女子校や女子大の女の子達が、共学のそれに比べて一層華やかである事を思い出したりした。男性と女性とで、面白い心理構造の違いだ。

 

息子に感想を聞くと、冒険のシーンが良かったとのこと。マルセルとリリーが、伝説の怪物をその目で確かめようと、夜の洞窟に忍び込むシーンのことだ。印象に残る場面が私と全く違うところが面白い。

 

そして今日。

用事があって出掛けたついでに、マレ地区のカーナヴァレ美術館までマルセル・プルーストに逢いに行った。もうすぐ最終日を迎える展覧会。間に合ってよかった。

 

生前のプルーストに実際に会うことがあったのなら、私はそのエレガンスに間違いなく惹かれていたに違いない。

それにしても意外なのは、かの有名な「失われた時を求めて」が、当時、数多くの出版社から拒否された作品であったということ。興味深い。

展覧会には、マルセル・プルーストの愛しいママンの肖像画もあった。なるほど、眠そうな、半ば閉じているかのようなあの厚い瞼は、母親譲りだったのね。

 

病弱であったプルーストは、最期が近いある日、親愛なるお手伝いのセレストを呼び出して、いかにも幸福そうに言ったという。「ああセレスト。昨晩、この部屋で世にも素晴らしい事が起こったのだよ。とうとう原稿に FIN (the END) の文字をしたためたのだよ。これでもう思い残すことはない。」

 

私が読んだプルーストと言えば、このセレストが愛情を込めて亡き主に捧げた作品「ムッシュー・プルースト」ただ一冊。後は、読書家の母が語ってくれた個性的なプルースト像が、今も心の中に残って離れない。

 

展覧会の帰り、近くにある本屋併設のこじんまりとしたカフェに立ち寄って、コーヒーで両手を温めた。カウンターにちょうどマドレーヌが盛ってあったので、それもひとつ頼み、紅茶の代わりにコーヒーに浸して味わってみた。

外は急に大雨が降り出して、雨音の響くカフェは暖かで、プルーストのマドレーヌと紅茶のような繊細さこそ求められないけれど、なるほど静かな幸福感がふつふつと湧いた。

目を上げると、ちょうど目の前の壁に、貝の中で七色に光る真珠の絵が掛かっていた。ステキな兆しだなと思った。

 

しばらく前、忙しいことや考え事が重なって、いつものようにエンジンがかからない日々があった。近所に買い物に出る以外は、ちっとも遠出しない日々が続いた。

今回の外出で改めて悟った。私の場合、元気になるには、無理に時間を作ってでも外に出て動き続けることが必要なのだと。外出する日は、家事や諸々の仕事が山積みになる。それでも、一日が終わる頃、いつもより元気な自分に気付く。心にも体にも、日々の旅が栄養として必要なのだ。いつもより少しだけ遠くに行ってみる必要があるのだ。

主婦よ台所を捨てよ、街に出よう。

 

寒の戻りでコートが手放せないパリ。

シネマとミュゼとカフェで、夢を見ながら春を待つ。