Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Tuileries et une flânerie hivernale

冬の週末のチュイルリー散策

 

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今日は冬休み最後の日。

明日の月曜から、しばらく気温が氷点下になるそうだ。モスクワ寒波と呼ばれるもののせいらしい。

 

過ぎたる土曜の午後、息子にせがまれ、家族3人でチュイルリー公園のマルシェ・ド・ノエルに足を運んだ。ノエルなどとっくに過ぎ、年が明けてしまっても、エピファニーと呼ばれる1月初めの日曜までは街のノエル気分が冷めない。

 

寒空の下、チュイルリー公園は家族連れや観光客で大賑わいを見せていた。

私たちもマルシェに軒を連ねた物売りの屋台を見て回り、熱々のソーセージやヴァン・ショ(ホットワイン)、チュロスやクレープやチーズのたっぷりかかったポテトやらの誘惑に辛うじて抗い、その代わりミニジェットコースターと回転ブランコに一回ずつ乗った。苦笑しながら首を横に振る夫を地上に残して、息子と2人で。

乗り物の順番を待つ正真正銘ティーンエイジャーの我が息子は、背丈だけはママンを追い越し、口元にはシンボルの歯列矯正器なんかをしっかり光らせていても、まだ幼く子供寄りである。そんな様子がまだ可愛らしいくもあり、可笑しくもあり。昔は「みんながキャーキャー言ってる乗り物に乗りたい」なんて言って笑わせてくれたっけ。あの頃に比べたら格段に大きくなった。

 

私はと言うと、子供の頃に好きだった「りんごの木の上のおばあさん」の話を思い出していた。羽飾りの付いた帽子を被った最高にイカした幻のおばあさんと、主人公の少年アンディーが2人で遊園地に行ったくだりのことを。子供の私はワクワクしながら読んだものだ。大人になった今となっては、遊園地で自ら「キャーキャー言って」楽しむような、あんな素敵なおばあさんに将来なりたいものだと思う。

 

回転ブランコは相当高い位置まで昇ってクルクル回り(夫が拒んだ所以)、ただえさえ寒いのに空中に振り回されて手足がすっかりかじかむ。もう1分でも長く乗っていようものなら、凍えて歯がガチガチ鳴っていたに違いない。

それでも、高みからリヴォリー通りの瀟洒なオスマン式アパルトマンの屋根とチュイルリーの詩的な枯れ木を足元に見下ろし、暮れなずむ紫の空の彼方にエッフェル塔が輝く眺めは美しかった。

いつか、大きくなった息子は、ママンと空飛ぶブランコに乗って眺めたこの夕景のことを思い出してくれるだろうか。既にノスタルジックになった。

夫のいる遥か下界を見下ろすと、スマホを覗き込み、いつもの如く時事を読み漁っている様子。私たちの目に映っている美しい景色のことなど想像もせずに。

 

ここのところ、ちょうど19世紀のパリにまつわるエッセイを読んでいる。

チュイルリー公園は当時、上流階級の人々の日課となっていた散歩に欠かせない場所であったようだ。働く必要のない裕福な彼らは、健康のための運動がてら昼はチュイルリー散策に勤しみ、夜は舞踏会に足繁く通っていたらしい。

その時代の良家の娘達は、「家」のために若いうちに裕福な年上の相手と結婚し、ひとたび家庭を持ってからは豪華なアパルトマンで夫婦別棟で生活を送り、恋愛相手を探すのが許されたのは実に結婚後であったと聞くから驚いた。現代のモラルと全く噛み合わない。いつか訪れた古の貴族の邸宅に、マダムの寝室とムッシューの寝室がそれぞれ浴室付きで別々に設えてあったのは、そんな理由からだったのだと今頃になって合点がいく。昔のチュイルリー公園は、どうやらそんな彼女達の恋の狩猟場であったようだ。

 

さて、マルシェを覗いた後はすっかり日も暮れ、我ら3人は温かい飲み物を求めてカフェに入った。天井に大きな赤いランプが灯ったクラシカルなカフェは、それこそ19世紀のパリを思わせなくもない。店の真ん中にある吹き抜けの階段を見上げると、上階に、しどけない白いドレスに赤い帯を締めた女性の絵が飾ってあるのが見えた。王政復古下のパリのデカダンスの香り。果たして、このカフェもその時代に存在していたのだろうか。冬の週末に同じ喧騒が響いていたんだろうか。

 

そんなことを思いながら、注文したライチと薔薇の熱いティーを啜り、夕飯の時間に間に合うようにカフェを出て、イルミネーションが瞬く街中を縫って車を走らせ家路に付いた。2024年、新しい年の幕開けである。