覚え書き
夕方、乾いた洗濯物を畳んで仕舞うようにと息子に言うと、やる気こそなさそうなものの、珍しく「はーい」と素直な返事。その間にこちらは台所で夕食の支度を進める。
しばらくして見ると、物干しに乾いた靴下が一足だけ残っていた。どうしてこれだけ片付けないの?と訊ねると、「だって、それはひとりぼっちの靴下だから」との返事。
ひとりぼっちの靴下
思わず笑ってしまった。傑作な命名だ。下手な日本語がかえって詩的である。
淋しそうに物干しにぶら下がっている靴下には、確かに「ひとりぼっち」の哀愁が色濃く漂っているではないか。
フランスで一般的な言い方なのか、夫はこういった片方だけの靴下を "chaussette orpheline" と呼ぶ。「みなしご靴下」と言ったところ。息子はその orpheline (孤児) を、なんとか彼なりに日本語に置き換えようとしたのだろう。どちらにしても、哀しい靴下であることに変わりはない。
夫に対抗して、私は敢えて "chaussette célibataire" 「独身靴下」と呼んでいる。もの哀しいニュアンスを取り払って、意思のある自由の身にしてあげるためだ。
「独身」だなんて、やっぱり哀しいじゃない と思う人もあろうけれど、結婚して子供ができてからというもの、私はこのセリバテール(独身、単身) という言葉に少なからず羨望を抱いている。好きな時に、好きな場所に出かけて、時間も気にせず好きなことができる、そういったニュアンスが感じられて、いかにも輝かしく思えるのだ。
息子に、「独りぼっちは可哀想だから、それも仕舞ってあげなさい」と促して、独身の靴下を引越させた。これで洗濯物は落着。めでたし。
次の金曜日には、ここ、オーヴェルニュ地方の貸アパートを出てパリに戻る。山岳地帯はまだ初春の気候で肌寒く、公園のボタン桜が鮮やかに咲いて美しい。例によって、この国では誰も桜の木の下で立ち止まったりはしないのだけれど。