Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

月のはなし

特にそれらしい理由も見当たらないのに、なんとなく普段よりソワソワして落ち着かず、今日は月のものが来る日だったかしら?まだ数日先のはずだけれど なんて思った日の夜に、空を見てハッとすることがままある。

 

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そういった日は、概して(ほぼ)満月なのである。

満月の日は血が騒ぐ とはこのことか。

我ながら、その的中率に感心してしまう。本能に支配されなくなった、言い換えれば、見放されたように見える人間も、こういった支配力の影響をちゃんと受けている動物なのだな と思うと、感動すら覚えてしまう。

 

月はフランス語では女性形の単語だが、これには訳もなく納得がいく。理屈無しにストンと受け入れられる。

それだからという訳ではないけれど、母を亡くしてからは、月を見ると自然と母を想うようになった。

それは、残された父にとっても同じであるようで、母が他界してすでに2年ほど経ったある満月の夜に、東京の父からスカイプでコールがあり、居間の窓からあんまり月が綺麗に見えるので、母の遺灰と一緒に今月見しているのだ と言い終わるか終わらないかのうちに、嗚咽して泣き始めた。そんな泣き方をする父を見たのは、初めてだったと思う。

その日は、銀のお盆のような美しい月だった。

 

まだ小さかった頃に母に読んでもらった絵本の一冊に、月のオペラ というのがある。子供心に、合点がいくようないかないような内容のお話で、青とグレーと黒が基調の絵が醸し出す不思議な雰囲気と相まって、静かに強い印象を残した。

そのお話が、フランスの国民的ポエット(詩人)、プレベールの作であったとは、後の私が大好きになる詩「déjeuner de matin 」と同じ作者の手によるものであったとは、30年以上前の私には知る由もなかった。

母にそんな報告をしたい時、月を見上げれば届くだろうか。

 

月といえば、よく足を運ぶビオ(オーガニック)食品店には、ビオ ディナミックのロゴ付きの野菜や加工食品がいくつか置いてある。ただ農薬を使わないだけに留まらず、昔ながらの月のリズムに合わせた農耕スタイルのことで、一時期、「とびきりシンプルで美味しいトマトソース」を作るのにのめり込んだ時に、数あるトマト缶の味を比べたところ、このビオディナミックの瓶詰めトマトピューレが一番気に入ってからは、豆腐や野菜も贔屓にしている。

月と呼吸を合わせた野菜や果物だなんて、心ときめいてしまう。見えない不思議な力を受けて、おいしい魔法がかけられているのだから。

そして本当になぜか、見た目も艶やかな光を放つ作物が多い。