母のことを話そう。
たくさん本を読んでくれた。
八重洲ブックセンターは私達のお気に入りのお出掛け場所で、母は幼い頃から私の良き水先案内人だった。
センダックも古田足日も、イソップ物語もギリシャ神話も、一緒に寝転がって母が読み聞かせてくれた。
すっぱいぶどうとキツネの話しは、お話もさることながらその挿絵だって色あせずに記憶している。フランスに渡って息子が生まれてから、今度は私が彼に読んでやる番となった。
色々なところに連れて行ってくれた。
モーツァルトのコンサートも、シェイクスピアの芝居やバレーの白鳥の湖も、銀座の懐石料理屋も、ウィーン風のカフェも、デパートの食材売り場や和食器売り場なども。時々、子供同士の遊びの時間を切り上げさせてまで、意図的にあちこち連れ回してくれた。
たくさんたくさんチュウをしてくれた。
日本人には珍しいくらい。
たくさん話を聞いてくれた。
そのために、仕事さえやめてしまったほど。
お料理が上手で、盛り付けのセンスも抜群に良かった。
質の良い食べ物と、質の良い着るものにこだわりがあった。
日本人にしては珍しく手足が長く、腰の位置も高かった。
母性愛を形にしたようなひと。
母が高校生の頃、隣の家に赤ちゃんが生まれて、学校が終わると急いで帰って子守させてもらうのが楽しみだったと話していた。
ずっと女の子が欲しかったから、あなたが生まれて来てくれてよかったわ、と言ってくれた。
自分の母ながら、生まれ持っての上品さがある人だったと思う。
シテ島にある小さなお寿司屋さんで一緒にお昼を頂いた時、窓辺の席で、アップにした髪に、パリジェンヌも顔負けのセンスの良いマダムの装いで、何の話をしていたのか忘れたけれど、子育てはたくさん楽しませてもらったわ ありがとう と言っていた。
本当は私のほうがありがとうを言うべきだったのに。
結婚することに決めた時、東京のビルの最上階の、夜景の綺麗な店で2人で食事をして、母は何かを言いたそうに見えたけれど、何も特別な事は言わなかった。あの時何を話したかったのかは、お母さん、あなたが他界してしまった後から知ることとなりました。
とある美術館でマノンレスコーの銅像を見て、その名と小説をよく知っていたこと
本棚に星の王子様やプルーストがあったこと
風立ちぬ があったこと
香水はネロリの香りが好きだった
花を愛でる人だった
思い出話を聞かせてくれるのが上手だったこと
賢くて、物静かなようでいて激しく、それでいながら穏やかで、厳しく、優しく、笑上戸で、とても情が深い人だった。
お母さん、今の私がここにこうしているのは、お母さんとの時間があってこそ。
お母さん、ありがとう。