Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

L’art de flatter et l’art d’être flattée

褒め上手と、褒められ上手 について思ったことを少し。

f:id:Mihoy:20200102030531j:image

何事にも慣れが大切 というおはなし。

先日の年越しソワレの参列者の1人に、夫の美人の従姉フロランスと、そのイタリア人パートナーがいた。思えば、イタリア人の男性は口説き上手だって言うから気を付けなくちゃ と、いたずらっぽく言っていたのは、15年ほど前に一緒にミラノを旅行した時の母であったっけ。

大晦日の夜、珍しく約束の20時ぴったりに一番乗りのフロランスの一行が玄関の呼び鈴を鳴らした時、私はまだソワレ用の着替えも済んでいなかった。(フランス人というのは概して時間通りにはやって来ないものなので、すっかり油断していた。)

エプロンを脱ぎ捨て、ドアを開けるのは夫に任せ、大急ぎで寝室に身を隠してジーンズとセーターを着替える。今夜は、すっかりガードローブの肥しと化していた青いモスリンのワンピースをお披露目するのによいチャンス。その上、この手のローブは上からスポーンと被るだけでよいので時間を取らない。上下の組み合わせに迷うこともない。どうして今までずっと腕を通さなかったのだろうと我ながら思うほど、毎日のように履いている細身のジーンズよりよっぽど楽で、その上お洒落だ。どうやら、子供ができてから、ガードローブの中で一番ぞんざいな服を選んで着る習慣ができてしまっていたらしい。一番汚れてもいい服、一番どうでもいい服を。

着替えを済ませた後、髪を結ったりルージュくらいは塗りたいところだったけれど、あいにく我が家は寝室からドレッサーのある洗面所に行くちょうど真ん中に玄関があるので、どうしても途中でゲストと面会せざるを得ない。仕方がない、お化粧は諦めだ。半分だけ「変身」を済ませたところで諦めて人々の目に触れる事になってしまった、ちょっとカッコ悪いヒーローかヒロインの気分。まぁいいや。どうせ今夜はキャンドルを灯しての薄暗いソワレだから、メイクしたところで誰も気付きはしないから、と自分に言い訳してみる。

サリュー!ボンソワール!と玄関で口々に挨拶し、両頬に軽いビズを交わし、出迎えるのが遅れたことを謝って、段取りが悪くてちゃんとおめかしする暇がなかったことを言い訳すると、件のイタリア人氏は、そのままで充分に綺麗だから大丈夫だよと答えた。ここまでは親切心からで、よくある常套会話だ。しかしその後、その「続き」が待っていた。

ゲストが皆が到着し、サロンに落ち着いてから改めて、「しかしキミは益々綺麗になったね、そう思わないか?」(と、横に居た別の男性ゲストを小突いて無理に賛同を求める) に始まり、キッチンで料理の仕上げをしていると、サロンから「ジェームスボンドの彼女みたいだね」 (顔も体型も全くタイプが違うので、明らかに「衣装が」と言うことだろうけれど)と叫び、食べ物のおかわりを勧めると、「綺麗な上に料理まで上手いから全く隅に置けない人だねぇ」(パスタの茹で具合が気に入ったらしい)、向かいに座れば、「キミはどうして年を取らないんだろう?」(日本人はみんな童顔なのだと説明しておいた)、「キミの旦那は相当ラッキーな男だ」 (当の本人は特にそうは思っていないが)、などなどと、自分の美人の妻を横に、なんのお構いもない様子で褒め言葉の「攻撃」を止めない。

日頃おしゃれも化粧もせず、男性に面と向かって容姿を褒められることもめっきりなかったこの頃だったので、褒められ慣れしていない私は、この稀な攻撃をどう受けて、あるいは、どう交わしてよいものか、すっかり窮地に追い込まれた気分だった。嬉しいとかくすぐったいといった思いを通り過ぎて。せっかく褒めて貰っても、そんな筈がないという否定心が先を立つは、公然と褒められる事が気恥ずかしいは。イタリア人氏の褒め方もまた容赦がないので気後れする。アルコールが入っていた上に、照明を落としていたのが功を奏していたのと、氏のメガネは度が合っていないのに違いなかった。

昔から言うではないか。継続は力なり、チリも積もれば山となる、石の上にも三年、って。そして、馬子にも衣装。毎日衣装を着ていれば、馬子はもう馬子ではなく、別者の格が付くに違いない。褒められる機会の多い人は、自然に褒められ上手になるに違いない。

何においても日々のコツコツが大切なのだろう。それは、料理にしても、おシャレやメイクといった自分をよく見せる努力にしても、住まいの整頓や、運動や、毎日のちょっとした気遣いにしても言えるに違いない。筋トレのように、日々少しずつでも継続していることは、少しずつ確実にその人の筋肉になる。血となり肉となる。

その点、お洒落も、褒められることも、褒め言葉に対して気の利いた反応を返す術においても、すっかり脆弱になってしまっている自分が居るのに気が付いた一夜だった。