Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Bavard

相手が関心を示そうが示すまいが、長話をしたがるお喋りな人 というのが時々いるものだ。

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南仏からパリに帰るTGVで、夫がまさにこのタイプのムッシュと隣り合わせた。

決して感じの悪いひとではない。むしろ、青い目の表情は明るく、にこやかに愛想が良く、感じがよい。紺色のセーターの首元には水色のアイロンの効いたシャツの襟が覗き、身なりも正しい。年齢は50代に入ったばかりといったところだろうか。

隣の席に人が来るのを待っていましたとばかりに、笑顔で、冬休みの帰省でしたか?田舎はどちらですか?プロヴァンスで開催中のHokusaï (北斎) の展覧会はご覧になりましたか?(夫の連れの私がアジア人であるのを意識しての話題であろう) 入館までの待ち時間は45分でしたよ、いやぁ私も並びましたよ、と次々に畳み掛け、アジア諸国を旅した経験があること、中国とヨーロッパの経済比較について、現在の深刻な環境問題から、果ては自分の仕事についてまで、のべつ幕なしに実に饒舌である。夫はと言えば、いかにも別の事をしたそうな様子で、時々うなずいては殆ど気のない生返事を返すけれど、ムッシュはそれを知ってか知らずか一向に話を切り上げる気配がない。このままパリまでの道中3時間、ノンストップの一方通行トークが続きそうな勢いである。夫の心の内が見えて可笑しいが、救う手立てもこれとてないので、目も合わさずに放っておく。(私はボックス席の向かいの席に座っている。)

そう、おしゃべりは女性の専売特許とは限らない。特にフランス人には、群を抜いてお喋りな人が、老若男女に関わらず時々いる。相手が聞いていまいがお構いなしに話し続けるのは、聞き手の態度に気付かないからなのだろうか?それとも、気付いても気にしないのだろうか?と、この手のお喋りさんに出会うといつも不思議に思う。相手の様子に気付かないのであれば、よっぽどあっぱれなお人柄である。気付いても気にしないのであれば、会話の意味を一体どんなところに見出しているのだろう?と、チャンスがあればいつか誰かに聞き出してみたい気がする。

夫にとっては、たまにはこういったシチュエーションに身を置かされるのもいい訓練ではないか。相手が私でないので、さすがに Racourcie ! (手短にしてくれ!) とも言えない。しめしめと密かにほくそ笑む私であった。

 

パリに着き、電車を降りると、ムッシュが遠ざかるのを見計らって、案の定夫は舌打ちする。Mais quel bavard celui-là !! Il a bien étalé sa confiture ! なんてお喋りな奴だ!ジャムを塗りたくりやがって!(知識をひけらかしやがって!)

まぁ確かに知識人には違いないが、と、一応良い点も認めてから、それでもああいうタイプの人間と隣り合わせるのはもう懲り懲り とため息をつく。私は件のムッシュの100分の1もお喋りではないけれど、それでも夫には話が長いと言われるから、3時間の饒舌は彼にとっては拷問に近かったに違いない。ようやく解放されて、いかにもホッとしている様子である。

 

何はともあれ、行きと同様、中身は違うがノエルのプレゼントでパンパンのトランクを引きずって、無事に年の瀬のパリに舞い戻った。