Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Chacun sur son assiette

家出してみた。

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ま、そういう日もあるさ。

Heureusement qu'il y des cafés dans cette ville.

 

それにしても、女の夜の1人姿はどこに居てみても絵にならない。

C'est tellement injuste ! Mais c'est comme ça.

世の中は不公平にできている。男女平等なんてあり得ない。

 

綺麗な若い女性がパリの夜中のカフェに1人きりで居たら?彼女は放っておいて欲しくても、きっと周りがそうはしてくれないだろう。あるいは誰も邪魔をしなくても、こんな綺麗な人がこんな時間に1人でどうしたのだろうと怪訝に思われる。お化粧をしてデコルテの服でも着ていようものなら、夜の商売の人だと思われてしまう。何にしても、絶え間なく飛んで来る視線が邪魔をする。

不細工な若い女性だったら?きっと振られたんだろうよ と思われるだろう。相手がいなくて可愛そうにと、勝手に同情されるかも知れない。連れのないその存在に違和感があることに変わりはない。

そこそこの年齢の女性だったら?独り身で行き場のない寂しい人に見える。意思を持ってそのカフェに座っていても、バーに所在なくたむろする独り身の殿方とは違って、しかるべき場所に収まっているようには見えない。

高齢のおばあちゃんだったら?この人は一体大丈夫だろうか? と思われる。哀れがられるか、あるいは反対に、夜道に出た途端に狙っていた輩にハンドバックをひったくられるかもしれない。

 

だから結論としては、男と女が喧嘩をしたら、男のほうがドアをバタンといわせて出ていくべきだ。タバコでも吸いながら一晩中歩けば、頭だってちょうどよく冷えるってものだ。女性が子宮を冷やすよりよっぽどいい。

 

日本語で、今まで個人的になんとなく違和感を覚えていた単語に「家内」がある。私は母に「飛び出したっきりなかなか帰らない鉄砲玉」と笑って命名されるようなタイプだったから、もし誰かと結婚しても「家内」なんて呼ばれたくないなと思っていた。

フランス語でも主婦のことを femme au foyer (直訳すると、家庭の中の女性) と呼ぶ。こちらも、内向的なイメージがあまり好きではない。

けれども確かに、マテリアルな建物としてのメゾン(家maison) はその中に男性をまずイメージしてみても違和感がないのだけれど、それが象徴的な家庭 (foyer) となると、そこに自然と中心となる女性の存在をまず思い浮かべるのは私だけではないだろう。

夜中のカフェに女性の1人姿が浮いてしまうように、夜中の家庭に男の1人姿は(全く1人ではなく、子供達が部屋で眠っていても)なんとなく落ち着きが悪い。そう、世界はどうしたって不平等に出来ているのだ。

だから、喧嘩をしたらやっぱり男性が出ていくべきなのだ。

Chacun sur son assiette ! Non ?