Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Ciara

嵐の日曜日。

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今週からパリの子供達は2週間のヴァカンス。それなのに外は突風が吹き荒れている。体の軽い息子なんて、外に出た途端に吹き飛ばされてしまいそう。我が家のテラスの赤いテーブルもランタンも易々となぎ倒されてしまった。嵐の名前はキアラ(Ciara)。

 

午後は息子の友達が遊びに来ることになっている。子供達のおやつを買いに、近所に買い物に出た。この嵐で通りは閑散としている。建設中の建物の前を通りかかると、その巨大な覆いがバタバタ尋常ならない音をたてて大騒ぎ。

もうすぐ市長選挙が始まる。街角に同じ候補者のポスターが4枚連続して貼られているのが目に留まる。どれも見事にずたずたに破られていた。その端切が激しく突風に靡いている。キアラの仕業?いや、誰かが故意に破ったのだ。

有名になるということは、裏を返すと、それに付随してその人の事をよく思わない人間も増える という、あまり嬉しくないオマケも付いてしまうのだろうなと思った。敵対心から、妬みから、嫉妬心から、考え方が違うからとか、あるいはただ単に顔が気に入らないとか、よく知りもしない誰かを嫌う理由なんていくらでも見付かるのだろう。人気のある花形候補者のポスターだったから、無惨さが尚更目についた。もし私がその候補者当人だったら、そんなポスターを見てどう感じただろう?世の中は所詮そんなものと分かってはいても、多くの人は自分に好意を寄せているはずと思っても、やはり少なからずショックなのではないかしら。どうしたってブルーになるのではないかしら。

有名人でなくてよかった。自慢するほどの事ではないけれど、一緒にいて心地よいと感じる人、健全な光を発している人だけに囲まれていることに関しては、自信がある。

 

今回のパリ市長選挙、個人的に私が注目する候補者は、巨大な蝶ネクタイと蜘蛛のブローチがトレードマークの一風変わった天才数学者。確か裸足で歩くのが好きだとかで、以前はどこでも靴を抜いでしまう人だったけれど、そのクセは今も残っているのかしら。都市の環境問題に熱心なようだけれど、数学的な見地から革新的な対策でも打ってくれそうだ。そして何より、人間味のある人物のように見受けられて好感が持てる。

街中で彼を支持するパンフレットを手渡されたけれど、残念ながら私には選挙権がない。

 

それにしても、どうして嵐や台風には女性の名前が付くのだろう。女性の怒りは手の施しようがないということか。収まるまで待つしかないということなのだろうか。そう言えば、ヒステリーという単語も、ギリシャ語の「子宮」が語源だそうだけれど。

 

キアラのご機嫌は、今日一日収まりそうにない。