Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Les français et les masques

フランス人とマスクについて。

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フランスは明日で一旦現在のロックダウンが解除される。

長い長い春の冬籠りの終結、と言いたいところだけれど、実際には、今までとあまり変わらない生活スタイルがしばらく続きそうだ。変わることといえば、外出する時に許可書が要らなくなる事くらい。

 

近所の体育館でマスクを配布するというので、予約を取って受け取りに行った。途中で教会の前を通ると、柵越しの薔薇が美しい。5月の風物詩だ。

この清々しい季節にフランス人にマスクの着用を勧めるのは、日本人に室内でも土足で生活するようにと勧めているのと同じくらいの抵抗がある。

それでも、今では街を歩けばすれ違う人の半分くらいはマスクを付けるまでになった。それ以前は、マスクをしているフランス人というのにお目にかかった事がなかったから、これは大きな前進なのだけれど、フランス人がフランス人である事を手放してしまったようで複雑な思いがする。そうせざるを得なくなってしまった特別なご時世だ。

 

食事の準備をしながら聞くラジオは、連日驚くほどマスクの話題で持ち切りだ。議論好きなフランス人。マスク一つにしてみても、感心するほどカンカン諤々。着用するか否か、効果的か否か、なぜ必要なのか、どの場所で着用するか、どのように慣れるか、使い方を子供にどう説明するか、アジア人はどのように生活に取り入れているのか、エトセトラ。その数が足りるの足りないの、国家予算がいくら掛かるの、という問題以前に、この国では立派なアイデンティティーの問題なのだ。日本人にしてみれば、単に口に当てて、耳に紐を引っ掛ければいいだけじゃないの と思うけれど、そう易々とは事が運ばない。とある政治家が「フランス国民に、マスク着用のための教育を施さねば」と大袈裟な言い方をしているのも耳にした。ラテン気質を修正せねば、という事だ。

 

何につけても、表明することに価値を見出すお国柄。顔の半分を覆って表情を隠してしまうマスクは、どうしたって好まれない。その上、周囲のことは良くも悪くも気にしない国民性。周りの人の為にマスクをするという考え方も今までなかなか根付かなかった。

 

表明するといえば、

日本では、顔を真っ直ぐ直視するのは失礼とでもいった具合に、面と向かって話していても、敢えて目を合わさない奥ゆかしい人に時々お目にかかる。それがフランスだったら、この人は何かやましい事でもあるのだろうかと不審がられてしまうだろう。

周りを気にしないと言えば、

去年の夏の日本帰省の折、ブティックでミニスカートを手に取って見ていたら、20代と見受ける若い女性の店員さんが慇懃無礼な態度で近付いてきて、口から出る言葉とは裏腹に「あなたの年齢でまだミニを履くつもり?」と顔にありありと書いてあった。フランスの女性はと言えば、シワシワのおばあさんだって人目を気にせず粋なビキニ姿でビーチに横たわっている。

果たして自分がおばあちゃんになった時ビキニを着る勇気があるかどうかは別として、私にはフランス暮らしの方が性に合うなと思うのは、例えばそんなところだ。

そんなフランスが、またフランスらしさを取り戻せますように。

 

最近マスク姿の人を見て、ふと「言わ猿」然りだなと思った。

見ざる聞かざる言わざるは、3匹セットでなければ釣り合いが悪い。口だけ塞いでみても、あるいは口を塞いだせいで尚更、目から耳から入ってくる日々の情報がかえって強調されてしまいそうだ。目と耳も上手に塞いでバランスを取らなくちゃと思った。