Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Les coquillages

子供の頃からとても心惹かれるものに、貝がある。

f:id:Mihoy:20200710055727j:image

海辺できれいな貝を拾って過ごすのが好きだ。読書にも似ていて、没頭するとすっかり時間を忘れる。内側が桃色だったり、うす紫色だったりする小さな貝を、日がな一日探して歩いて退屈しない。それどころか、どこかしらセラピーのような効果さえある気がする。無心になって時を過ごすと心が安らぐものだ。

目の前には広大な海と空が出逢う素晴らしい景色が広がっているというのに、この子は足元ばかり見ていると、昔、父にがっかりされた覚えがある。確かに海にはまったくお構いなしのように見えるけれど、寄せては返す波の音はしっかり耳に届いている。貝がら拾いの楽しみの中に、そのBGMはしっかり含まれているのだ。

 

今にして思えば、子供の頃はそんな他愛もないことに心ゆくまで没頭する時間がたくさんあった。そんな時間をたくさん作って貰ったと言ってもいい。果たして、私は息子にそんな時間を充分与えられているだろうか?「早く早く」と日々口癖のように急かしてばかりいる気がする。不本意ながらも。

海辺での時間は、そんなセリフを波に流してのんびり過ごそうと思った。それなのに、貝がら拾いに夢中な私を今度は息子が急かしてきた。「もう行こうよ。ママ、早く!」

やれやれ。

 

ずっと以前にも訪れた Trouville というこの町は、前回は季節外れの冬であったせいか、随分鄙びた印象があったけれど、7月の観光シーズンに入った今回は思ったよりずっと賑やかだ。

かつては、デュラスやプルーストといった文豪も贔屓にして滞在していたらしい。印象派の画家たちが好んで描いた光と海が、今も変わらず私たちを迎えてくれる。それと同時に、この場所は第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦の舞台でもある。戦争のない時代と場所に生まれた今の私たちは幸せだ。男の子を持ってから、特にそう思うようになった。

 

商店の並ぶ町の中心を歩いていると、包装紙にプルーストの肖像画の付いたマドレーヌを見かけた。この有名なお菓子も、言わずと知れた貝のかたち。この土地を愛したプルーストと、その作品へのオマージュだ。夫への手みやげに買って帰ることにする。見た目は私好み。味は夫好み。店のムッシューに、肖像画はパリのオルセー美術館にありますよと教えてもらった。

 

ふと足を踏み入れた雑貨屋とも骨董屋ともつかない店では、古い銀製のスプーンを見かける。これもやはり、すくうところが貝のかたちをしている。優雅な生活の芸術品だ。持ち手の部分に、私と同じ M のイニシアルが刻んである。どんな人が使っていたのかしら。とても惹かれたけれど、銀製品のお手入れをする余裕は今の私にはないので、また次回の出会いがあるまで見送ることにする。

 

3日間の滞在を終えて、今日の夕方の電車でパリに戻る。

ホテルを出る際、受け付けの感じの良いマダムに滞在はいかがでしたか?と聞かれた。マスクを付けたり外したりするのが煩わしかったけれど、町も海も充分満喫した。部屋も快適だった。ただ、カモメが騒がしいのには驚いたと話すと、彼女は「ああ、それは今が子育ての時期だからなんですよ」と答えた。雛を保護すべく、毎年この時期のカモメ達は警戒心を尖らせて、やれ犬が居るの、車が通るので騒がしいのだそうだ。「私も毎年この時期はよく眠れません」と、マダムは苦笑する。なるほど、そういう事だったのね。あの騒ぎはやはり尋常ではなかったのだ。

宿の外に一歩出ると、まだ子供のカモメが4羽、歩道に並んでよちよち足踏みしていた。人間だったらさしずめ、はじめてのお遣い とでもいったところだろうか。その上空で、親と思しきカモメが旋回している。

人間も鳥も、子供を持つと皆一様にキーキーと甲高い声をあげるようになるのだ。

早く早く!と叫んでばかりいる親は、どうやら私だけではなかったみたい。