Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Une question existentielle

ここ数日、人と会うことが続いた。

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今日は、陰ながら応援している文化プロジェクトの一環で、年齢も性別もシチュエーションも違う人達と会って話す機会を得た。中心となる女性アーチストを除いては、私にとっては全員初対面の顔触れ。

よく晴れたパレ・ロワイヤルの中庭で、ちょっとした撮影のような事を行い、その後、カフェのテラスで皆でテーブルを囲んで雑談する。

こういう時に繰り返し思う。私は「何者」として自分を紹介すればいいのだろう。つまり、私には肩書きがない。

 

子供の頃、「大きくなったら何になる?」という質問が不思議だった。職業のことを訊いているのは勿論分かるのだけれど、私は、大きくなったら大人になりたいと思っていた。ヒヨコが立派なニワトリになって、おたまじゃくしがすっかりカエルになるように、子供の私は将来素敵な大人になりたいと思った。憧れの職業もあるけれど、それは二の次に過ぎないと。大人になったら、自分であることを極めたいと思っていた。自分らしくあって、自分であることを楽しく思いたいと。肩書きは自分の名前だ。時々、子供のままで居たいという人がいるけれど、そんな人達が私には信じられなかった。時間は味方。大人になるというのは、即ち、前進すること。濃度が増すこと。

 

ところが実際に大人になってみて分かったのは、一般的に、周りの人に自分を説明するのに一番手っ取り早い方法は職業だということ。そして、ママンであるというのはもちろん職業ではない。だいたい、「ママンしてます」と自分を紹介するつもりもさらさら無い。専業主婦という言葉も存在するけれど、何かしら居心地が悪くて全く好きになれない。自分は「何でもない」のだと言っているような気さえする。実際には「何もしていない」状態からは程遠いというのに。逆に「何でも屋」になっている事で、好きなことたった一つにも時間やエネルギーを費やせずにいる。そして、そんな愛すべき同士、縁の下の力持ち的なパワーウーマンが周りにたくさん居る。

 

この状態を居心地が悪いと感じてしまう限り、きっと、なにかしら解決策を練らなければならないのだろう。どう消化するか。あるいは、どう変更するか。

そんなところに今の私は居るのだと思う。