Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Courage de s’en foutre

昨日と今日は人を招いた。

 

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友達と会ってお喋りするのは久しぶりだ。昨日は同郷人の友ユキさんとお茶をして、今日はソニアが2人の子供連れで遊びに来てくれた。

外は毎日雨降り。冬至を過ぎてから気温も急に下がってキュッと寒い。暖かい家の中で窓辺のソファーに陣を取り、マスクを付けたり外したりしながらお茶を飲み飲みお菓子を摘み、お喋りに花を咲かせる楽しい時間を過ごした。

 

ユキさんと子供や学校の話題になった時、彼女の「親の役目というのは、ただ単に、その子の持って生まれたもの (と言いながら、両手で緩やかに蛇行した川のような形を作ってみせてくれた) に合わせてそれを支えたり、必要としているものを臨機応変に添えてやったりするに過ぎないと思う」という言葉にピンと来た。そうだ、私にとっての理想はまさにそれだ、と。「寄り添う」というところが優しくて素敵だ。自分にも相手にも無理がない。学校や社会の要求に子供を合わせるのではなく、周囲がその子の素質に合わせられたら理想的だ。

子供を持ってからというもの、その持って生まれたものの強さに目が眩んでいる。先天的な要素の強さに比べれば、環境なんて付属に過ぎないとまで思うようになった。それくらい子供達はオリジナル性を持って生まれてくるというのに、現在息子たちが受けている学校教育というものは基本的に、一辺倒に始めからあるべき姿を提示して、その形を目指すことを子供に (そして親に) 求める傾向がある。だから、その形から遠い本質を持って生まれた子供にとっては大変で、その親は親で、身に覚えのない不手際を他人から咎められたりするのだ。

型に入らないものを嵌めようとするのは大変な苦労が要る。そんな苦労はする甲斐がないのだ。強制することで物事が上手くいった試しがあるだろうか。親である私がそれに気付いて涼しい顔をしていなくては、まだ幼くて充分な判断能力のない子供に要らない負担がかかってしまう。最近の私は、自分が先ずプレッシャーに押し潰されそうになってはいなかったか?気を付けようと思った。

気の合う友達の口から出る言葉には、時々こういった大事な気付きがあるから貴重だ。肩肘張らない彼女は、やっぱり素敵な人だなと改めて思った。

 

フランスという国は基本的に大人社会で、それが魅力でもあるのだけれど、子供の教育に関しては、日本の小学校教育のほうがある意味で私の理想とするところにまだ近い。子供というのは大人の未完成版で、型にしっかり嵌めて大人の形を作っていかなくてはならないのだと、誰だったかフランスの哲学者が書いた古典の一節をいつかどこかで読んだ気がする。まったく同感できないと思った覚えがある。子供の時間は一つの立派な別世界なのだと思っている。