Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

A la manière de Chagall

息子の新学期は私もつられて何かと忙しい。

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大した事は何もしていないのだけれど、細々としたことに気を取られているうちに時間が過ぎて、9月と言うのはいつも、あって無いようなジャムサンドウィッチの中身みたいな月だ。差し抜きならない要の月だけれど、くっきりと濃く、極めて薄い。

 

夕方、図書館に本を返しに行くのにいつもの教会の前を通りかかった。入り口はいつも開いていて、中の様子が伺える。日曜のミサの時間だけ決まって賑やかで、それ以外の日はたいてい誰もいない。

今日も通りすがりに何気なく覗いて、ハッとして足を留めた。美しい光が射していたのだ。いつになく。白い柱が、シャガールの筆先で彩られたように光っている。ステンドグラスにちょうど西日が当たっているのだ。教会のすぐ横には同じくらいの高さの建物が並んでいるので、この幻想的な光が現れるのは、太陽が斜めに差し込むほんの僅かの時間に違いない。

 

息子の学校の歴史の授業は、ちょうど今、キリスト教が西のカトリック教会と東のギリシャ正教会に分断される時代に差し掛かっている。キリスト教と言えば現在は平穏なイメージがあるけれど、過去には実にたくさんの悲劇を呼び、血も流された。

信仰は人の心の支えになるけれど、同時に人を苦しめる。それでは人は一体どうすればいいのだろう?神様に名前がなければいいのかな?

 

神様を信じようが信じまいが、美しいものは信仰心に似た感情を呼び起こす。だから、ほんのしばらくの間、敬虔な信者に勝るとも劣らぬ気持ちで、誰もいない静かな午後の教会の光を眺めた。