Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Tempête de pétales

快晴の午後、一斉に咲いた街路樹の白い花が晴れやか。

 

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桜とも林檎ともつかないと思ったら、どうやら梨の木の一種のよう。

爽やかな春風が吹いて、米粒大の花びらが雪のように散る中を歩く。ライスシャワーの祝福を受けているような幸福な気分になる。

数歩先にある教会の鐘がディンドンディンドンと盛んに鳴り響いて、いつも通る道を幸せな花嫁さんにでもなったような気持ちで歩いた。花いっぱいの街路樹が頭上から盛んに「おめでとう」と言っているみたい。

 

教会の前にさしかかると、その外壁に赤いスカーフを掛けた巨大な木製の十字架が立てかけてあった。入り口の正面では薪らしきものを燃やしている。それともあれは香を焚いているのかも知れない。なにか特別な儀式のようだ。

外界が眩しいので、教会のほの暗い内側を覗いても中の様子がよく見えないけれど、どうやらミサが行われているようだ。復活祭のお祝いかな?

 

横を歩いていた息子が、どうしてあの十字架には赤い布がかけてあるのかと訊くけれど、私はカトリックの習慣をよく知らない。後でパパに聞いてみたら?と答えながら、おそらく夫も理由を知らないだろうなと思った。息子が生まれた時、郷に入っては郷に従えで洗礼を受けさせてもいいかなと考えたのはむしろ私の方で、カトリックの家庭に生まれ育った夫の方が面倒臭いからと却下したくらいだ。自国の宗教を歴史的に誇りには思っているらしいけれど、その慣例と言えば殆ど詳しい事を知らない。私にとっての仏教のようなものだ。

赤い布はキリストの血かな?と、ちょっと考えてから息子が言った。そうに違いないと頷く。きっと復活の血のシンボルに違いない。

 

復活祭と言えば、卵形のショコラを庭や家の中に隠して子供達が「卵狩り」を楽しむのがこちらの習わし。明日はアパルトマンの中庭に隣人ヴェロニックとショコラを仕掛けようと話したのだけれど、スーパーに行くと卵型ショコラは見事にもう一つも残っていなかった。春だと言うのにロックダウンで遠出もままならないから (移動は10km以内に制限されている)、みんな家の近くでお楽しみを探すせいだ。都会は人が集中しているので、大型スーパーの卵型ショコラの棚もあっけなく空っぽになってしまったようだ。

 

現在のパンデミックに何かしらのメッセージを読むとすれば、都会の人間に「もっと散らばって暮らしたほうが人間らしい生活ができるよ」と言っているのは明らかなのだけれど、そうと分かっていても、私を含めてなかなか他所に行けない都会人が相変わらず大勢いる。その場合、どこからどう変えていけばいいのかなと時々考える。

 

1862年4月3日、つまり160年前の今日は、ヴィクトール・ユゴーのレ・ミゼラブルの記念すべき出版日だったそうだ。着想からほぼ30年もの歳月を経ての完成であったらしい。それだけ長い間温めていたからこそ、あれだけの大作になったのに違いない。すぐさま飛ぶように売れて巷では大いに話題になったけれど、それに嫉妬してか同時代の文人達からは酷評が相次いだそうだ。そんな輩に作家のフロベールや詩人のボードレールも名を連ねたと言うから意外だ。