Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Plein de questionnements et la positivité

週末の雨の午後、いつもの3人でカフェに集った。

 

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パリのカフェやレストランは、週明けから再び閉鎖になるかも知れない。感染者の数が再びじわじわと昇りはじめているようだ。それにしては、幸か不幸か全体的に緊張感が薄いのだけれど。

夏休みが終わり、秋に入って毎日雨降り。夏中輝いていた太陽が今度はヴァカンスを取る番だ。明らかに冬が近い。ヴァカンスのために生きているようなフランスの人達にとって、夏の余韻がいよいよ遠のいて行くこの季節は、一年の中で最も元気が出ない時期かも知れない。その上この雨だ。南仏のニースに近い地方では、この週末、1日で一年分の雨が降ったという。どうもおかしな天候だ。

 

いつものカフェはテラスが広々と居心地がいいのだけれど、寒い雨降りの日に外で長居は気が向かない。そこで、足を伸ばして一軒先の別のカフェを試した。広い店内にお客は私たち3人だけ。こんな天気の週末はみんな家に引っ込んでいるのだろう。

 

家族のこと、学校のこと、家事のこと、恋のこと、仕事のこと、読んだ本のこと、それぞれに近況を報告し合う。それにしても、すぐ先のことさえ見えないおかしな時代に生きているよね、と頷き合う。公私ともども、色んな事がひっくり返ったり、物事が思いもよらなかった方向に展開したりしている。転換、変容の時代なのだろう。何もなかったように今まで通りには事が進まない。逆に、この時代の空気を利用して、変えるべき事を変えておくタイミングに違いない。

 

息子を叱咤激励して日々引っ張っていくのに閉口気味の私は、気の合う仲間達にちょっと愚痴をこぼしてみた。思ったよりもお硬くて、「面白味のない」フランスの旧式教育制度にそもそも疑問がある。そのシステムが性に合う子は問題ないのかも知れないけれど、周りを見る限り合わない子供の方が断然多い。学校に居る時間が長すぎるし、家ですべき課題も多すぎる。子供達にだって1日は24時間しかないと言うのに。今のうちにどうして一般的なオフィスワークの時間の感覚に慣れなくてはならないのか。学校で一体何をしているから、こんなに家で勉強させなければならないのか。家のことを手伝ったり、自分から何かを選んでする時間は一体どこにあるのか。

考えてみたら、一生のうちの子供の時間なんてほんの僅かだ。人類が長生きするようになればなるほど、子供時代の比率は少なくなる訳だ。なにも急いで大人になるよう急き立てる必要はない筈だ。

そこまで話して少しスッキリした。なにも「相手の要求」にいちいち応えるのに心を割いて生きなくてもいいのだと思った。時代というものは確かに存在して、人間に対して、その時々で別の在り方を要求してくる。それに振り回されない為には、自分の尺度に忠実でいればいいのだろう。

 

何があっても、明日が見えなくとも、理由なき前向きさを持って生きようとするのがコツよね と話し合った。本当にそうだと思った。どんな悩みがあっても、翌日の朝になったら取り敢えず元気になるとか、なにが上手くいかなくても、盲目的に前進を信じるとか。前向きになるのに根拠を探さなくていいのだ。敢えて言えば、きっとこのポジティビティーこそが、人間の証、その支えなのだろう。

 

満足なブタよりも、不満足なソクラテス。これについては昔から時々考えさせられるのだけれど、どう考えても、私は満足なブタのほうでいたい。賢くなったばかりに苦悩するよりも、盲目的に幸せでいた方が微笑ましいではないか。