Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Paris est une fête

夏のパリの夜の風物詩


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涼しい7月の金曜の夜。

開け放った窓の外から、賑やかな人の声がする。どうやら向かいのアパルトマンで誰かがフェット (fête / パーティー) を開いているらしい。歌ったり、騒いだり、音楽を流したり。久々になんとも陽気なムード。楽しそうだ。窓の外を覗いても見えないけれど、きっと例によってみんな踊りまくっているんだろうな。騒ぎ具合からして、夏休みに入った学生の集まりのようだ。

 

昔、パリの小さなステュディオで一人暮らししていた学生時代、夏が来て、開け放した窓からどこからともなくフェットのドンチャン騒ぎが聞こえてくると、居ても立っても居られない気分になったものだ。こんな気候の良い晩に1人で家に篭っているなんて、ひどくもったいないことをしているような、落ち着かない気分になって、フットワークの軽い友達を誘って一緒に夜のカフェに繰り出してみたり、あるいはタイミングよくどこかからフェットのお誘いが舞い込んで嬉々として出かけたりしたものだ。子供時代の夏の夜、盆踊りの太鼓の音が聞こえてくると、ソワソワして外に出ずにはいられなかったお祭り好き魂が、パリでも健在と言った訳だった。

 

基本的に、人付き合いはグループでいるよりも一対一のほうが好きだけれど、お祭りとくれば話は別。フランスの人たちの肩肘張らないフェットというものを、私はこよなく愛している。大抵の場合、極めてごった煮的なざっくばらんなホームパーティーで、飛び入り参加もオーケー。人目を一切気にせず、チープな音楽に合わせて平気でヘンテコ踊りやメチャクチャ踊りをする。酔いも回って、横に居合わせた名前も知らない人と朝までお喋りしてはゲラゲラ笑ったり、白熱して芝居がかった討論をしてみたり、はたまた、ソファーに身を沈めて人間観察をしたり。フェットで特徴的なのは、大勢で集っても、大きなテーブルにみんなで着席して食事をするのと違って、結局は一対一の会話が主流になることだろう。1人の相手と思わぬ長話になることもあるし、あの人この人と少しづつ話すだけの時もある。ぜんぜん話さず、ひたすら踊って運動不足を解消するのもよい。朝まで大騒ぎしても、同じアパルトマンの人達は「フェットなんだから仕方ない」と目をつぶる (耳を塞ぐ) といった寛容ぶりなのだ。数々のフェットを思い返すと、つくづく楽しかったなぁと思う。

 

考えてみたら、そんなフェットに誘ったり誘われたりしなくなってから久しい。まず、子供ができてからガクンとチャンスが減った。その上、最近はこのご時世だ。祭りごと全般が長らくご法度だった。

 

久々に窓から聞こえてきた陽気な人々の声。なんだか、久々にソワソワ気分になった。じっとしているのがもったいない気分に。この週末は、ヴァカンス旅行に出発間際の友達を捕まえて出かけてみようかな。夏という季節は、人に会うという刺激が欲しくなる。長らく制限されていたから尚更なのだ。

隣人のフェットは、それでも一応夜中には音が止んだ。分別のある学生たちは、騒いでも早々に解散したのだろう。長い長いロックダウンの間、みんなよく耐えて頑張ったね と、労ってあげたい。夏が過ぎれば、また何がしかの制限が戻ってくるかも知れない。キリギリスのように、一夏を無邪気に歌って過ごそう。それでいいのだ。