Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

A la fin de la journée automnale

1日の終わりの夜の居間にて、「今日も息子の宿題押し付け係」のつぶやき

 

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そもそも、「学ぶ」という行為を強いることなんてできるのだろうか? 不可能なのではないか? それは、お腹が空いていない人間に食べさせようとするのと全く同じ事のような気がする。

 

相手が求める以前に大量にどんどん与え続ければ、食欲がなくなるだけ。相手が美味しくないと感じているものを無理やり食べさせれば、ますます嫌いにさせるだけ。要りませんと言っている人に無理やり食べさせれば、それは立派な嫌がらせ。拷問にさえなり得るだろう。

 

美味しく食べさせるための一番簡単な方法は、お腹が空くまで待つこと。相手が好みそうな物を出すこと。少し凝った方法では、食卓に出すものを美味しそうに見せる工夫をすること。それから、自らがおいしそうに食べる姿を相手に見せること。振りをするのではなく、自分が実際にとても美味しいと思っているものを美味しそうに食べている姿でなくては意味がない。

 

お腹が空くということについては、私達は良くも悪くも空腹を知らない世代だ。その子供達となると更に輪がかかる。食べ物も情報も選択肢も、有形無形構わず身の回りに目眩がするほど数多に存在する。毎日の生活の中で、雑多なそれらをいかに振り払って本当に必要な物だけを取り入れるか?というのが課題だったりする。いかにお腹を空かせるかに頭を悩ますだなんて贅沢な悩みだけれど、結構シリアスなのだ。

 

2度目の外出制限は、幸い1度目のそれに比べれば極めて緩く、だから日々の生活は殆どいつもと変わらない。日々の小さな幸せやちょっとした悩みだって、あまりいつもと変わらない。逆に言うと、普段通り雑事に忙しい。非常事態宣言下であってもこんなに緊張感が薄いのは、人間の長けた順応能力のせいもあるかも知れない。

秋休みが終了して、また閉鎖になるかもしれないという息子の密かな期待を裏切って学校は再開し、それと入れ替わりに夫はテレワークに移った。前回は暖かい季節に向かう時期であったのに比べて、今回は寒さに突入するタイミング。

貯える季節。温める季節。我が家にもマントルピースがあれば良かったけれど。先日訪れたバルザックの家で見たような、存在感のある古式ゆかしき暖炉が。そうしたら、肘付き椅子に深く腰を落ち着けて、焚き火の音を聞きながら本を読むのだけれど。

気温が一段下がり、来る冬に思いを馳せる。