Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Ravel et mon fils

覚え書き

 
f:id:Mihoy:20201216175607j:image

 

咳が出るので学校を休んだ息子。今朝はラヴェルを聴いている。以前、図書館で借りた子供用のお話しCDに入っていたボレロが気に入った彼。先日の誕生日に、大人の鑑賞にも耐え得るCDをプレゼントしてみた。いまだにオモチャの類を欲しがる幼い彼だけれど、良い音楽は良い。

一曲目はボレロ、二曲目には亡き女王のためのパヴァーヌが入っている。メランコリックな音楽を嫌う彼は、パヴァーヌがかかった途端にいつも曲を変えてしまう。パヴァーヌを愛する私はいつもがっかりする。

ところが今日は、手にした漫画に夢中で気が付かなかったのか、学校を休んだので時間がたっぷりあるせいか、2曲目が無事に最後まで流れた。

小澤征爾氏がタクトを振る演奏。美しい。私が遠い以前に聴いていたパヴァーヌよりも、さらにデリケートで密やかな音の構成だ。中ほどに差し掛かると、まるで黄昏時の穏やかな海の、静かに寄せては返す波のようだ。ソファーでうとうとしながら夢見心地で聴き惚れた。贅沢な時間だ。

外は冷たい北風が吹いている。家で過ごす息子の1日。時間はのんびりと流れる。早く早くと急かす必要もない。

 

私が子供だった時分、実家の両親はモーツアルトやショパンを好んでよく聴いていた。ラヴェルのパヴァーヌを知ったのは、多分母のお陰であったと思う。クラシック音楽と言えば、友人の死を悼む「展覧会の絵」も、ツバメが南に旅立ってゆこうとする寒空の下をとうとうと流れる「モルダウ」も、キラキラ光る浅い川底で軽快なダンスを踊る「鱒」も、すべて母が語りを添えて聴かせてくれた。その時に思い描いた鮮やか印象は、今も色褪せることなく私の中に残っていて、そのメロディーを耳にすればいつでも同じ光景を見ることができる。例え、母亡き今であっても。

 

ルーブル美術館のスペイン絵画の部屋には、ラヴェルが曲のインスピレーションを得た幼い王女のタブロ(絵)があると言う。息子を連れて行った時にその絵を探したけれど、なにせ巨大な迷宮であるので、かくれんぼしている幼い女王を探し出すことはできなかった。その日は、古代ヨーロッパのカール大帝の煌びやかな装飾品、十字軍のコンスタンチノープル略奪の絵、斜め右に対面しても横目でこちらを見ているようなミステリアスなモナリザ、ナポレオンの戴冠式の巨大な絵などを眺めて帰った。あの場所は、時空の旅を可能にするラビリンスだ。また息子を連れて行こう。もっと大きくなって、ママンとお出かけなんて拒むようになってしまう前に。

そういえば、パリからそう遠くない町にラヴェルの小さな館が残っているという。いつか訪れたいと思っている。