Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Mon cher piano

飴色のピアノのためのレクイエム

f:id:Mihoy:20200617092504j:image

最近になって、息子がようやくクラシック音楽を受け入れてくれるようになったので、子供の頃に私の両親がよく聴いていたモーツアルトのピアノ曲を時々流す。

今日はアパルトマンの庭の剪定の低い機械音が耳障りだったので、やっぱりお決まりのピアニストのモーツアルトをかけた。昔から聴き慣れている音楽というのは、ただ単に耳が記憶しているというより、からだ中の細胞が懐かしがるような感じがする。

いつか、息子がもっと成長して私の手を離れたら、空いた時間にまたピアノを習いたいなとふと思った。それは素敵な思い付きだ。誰に教えてもらおうか、先生をお願いする人も心当たりが無きにしもあらずだ。

 

東京の実家には、私がピアノ教室に通っていた小学生の頃に両親に買ってもらった飴色のピアノがあった。なかなか見かけないような珍しい色の、音色も綺麗な美しいピアノだった。不真面目な私は、いつもレコードで聴いているようなノクターンやメヌエットがすぐに弾ける訳ではない事にひどくがっかりして、ピアノ教室は結局数年でやめてしまって長続きしなかった。耳が良いと褒めてもらいながら、あなたは耳の記憶を頼りに弾くからいけないと、楽譜を「見ながら」弾かされるのがどうしても好きになれなかった。今になってみると、幼かったなと思う。本を読むのは大好きだったクセに、なぜか楽譜を読むのだけは苦手だった。要するに努力するのが嫌いだったのだ。

 

飴色のピアノは長いこと実家の居間に鎮座していたのだけれど、私は実家を去ってフランスに根を下ろし、時々帰省した時に音を出して遊んでいた息子も大きくなるに連れて指を触れなくなり、誰も弾く人がいないので、つい最近父と話してとうとう売りに出してしまった。あまり上手に弾いてやれなかったけれど、いろいろな思い出のある大事なピアノだった。誰かに弾いてもらったほうがピアノとしては幸せなはずだと思った。父の空間を、そこに住んでいない私の思い出の品が占拠し続けるのも気が引けた。

 

実家の居間には撤去した場所にがらんとした空白ができた訳だから、ひょっとしたら父にとってはしばらく喪失感があったかもしれない。遠い空の下の私には実感もなく、幸いノスタルジーも薄かった。

ところが、こうしてモーツアルトを聴いていると、またいつかピアノが弾きたいなと思い、そう思うと自然に、あの飴色のピアノを弾いている自分の姿が思い浮かぶ。そして、実家に帰っても、あのピアノはもうあの場所にないのだと今更のように思う。

 

さようなら、私のピアノ。

いつか本当にまたピアノを習う日が来たのなら、私の弾く曲はどれもあの飴色のピアノに捧げるレクイエムだ。