Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Rayon vert

新録というのは、本当に萌える(燃える)ものなのだ。


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日曜の午後。

よく晴れて春らしい陽気なので、パリ郊外の大きな公園に繰り出した。ひとくちに公園と言っても、お屋敷とその気の遠くなるような広さの敷地内に、整備された庭園と森がある。ベルサイユ宮殿の庭園にも似ている。お日様にほだされてもの凄い人手にも関わらず、それでもまだ十分にスペースがあるくらい広大な場所だ。

ここは桜の木があることで有名らしいけれど、花見シーズンに来た試しがない。だいたい、広大な敷地内の一体どこにその一画があるのかもよく知らなかった。

 

まず、フランス様式庭園の、きっちり剪定された円錐形や立方体のオブジェのような植木の合間を縫って歩き、途中から傍に広がる森の小径に入った。

 

春の森はすてきだ。

気の早い木々が枝先にすでに新芽を覗かせていて、そこに太陽光線が斜めから差し込むと、たくさんの小さな緑の炎が一斉に点火したように灯る。森が緑に燃えているのだ。耳には届かずとも目には映る歌声でもって一斉に合唱しているようにも見える。その輝かしさに何度も足を止めた。つくづく世界は美し。

 

新緑のけもの道を気ままに散策した後、再び庭園側に戻り、持参したクロスを広げて芝生の上で一休みする。背の高いポプラの並木にはまだ緑が灯っていないけれど、その下の芝生では恋人達が膝枕したり、家族連れが日向ぼっこしたり、1人で来た人が本を広げていたり、思い思いの格好で人々が寛いでいた。ほのぼのとした光景だ。

あちらこちらで顔を覗かせる可愛らしい黄色い花はキンポウゲ。フランス語ではブトン・ドール (bouton d'or / 金のボタン)。春の便りにいかにも嬉々としているような明るい色合い。大地の緑のコートに施された金色の小さなボタンなのだ。

涼しげなセリらしき葉っぱもたくさん見かけるけれど、こちらはフランス語名を知らない。アンジェリカかな?のどかな春の風景だ。

 

家を出る間際に思いついて手早く握って持って来たおにぎりを、布カバンからおもむろに出す。自慢のヒノキ弁当箱に大きいのをゴロンと3つ入れてきたところ、息子は目を釘付けにしてぜひ2つ食べたいとのたまう。算数の苦手な息子である。そのあからさまな食い意地が可笑しかったので、私と夫は一つを半分ずつ分けることにして後は息子に譲ってやった。甘い親である。草の上で食べるおにぎりは格別に美味しい。考えてみたら、夫がおにぎりに手を出したのはひょっとしこれが初めてかも知れない。ブール・ドゥ・リ (boule de riz ライスボール) には今までさして興味のなかった人だ。

 

お目当ての桜のほうまだ咲いていなかった。巷ではもうとっくに開花している桜が多いけれど、どうやら種類が違うらしい。八重桜だろうか。2週間前にここに来たヴェロニックが、あと1ヶ月くらい先かしらね と言っていたけれど、その予想は極めて妥当だ。確かにもう2週間くらいは待たされそうな気配である。見上げると、まだ固い小さな蕾らしきものを待機させた枝先は、爪を半分出した子猫の前足 (それとも後ろ足?) のような形をしていた。

この桜の木の一画には、磁石に吸い付けられるようにして集まった東洋人を多く見かけた。フランス在住のコリアンとかジャポネとか。自分も含めて私達アジアの民というのは、どうやらこの木の魔力から逃れられないらしい。

 

外出制限の出ている19時前には家に戻った。日が暮れて一日の終わりを迎えても、まだ目の奥に緑の残像がちらちら輝いている。その上、夏時間を迎えて時計の針を1時間進めたので、夜になっても目が冴えて眠れない。