Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Rencontre avec des Martiens

息子風に言うと、

火星人は人間だった


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2月は一年のなかでも最もパッとしない月だ。冬のお祝い事は全て過ぎて、それなのにまだ春は来ない。冬と春の間の小休止といったところ。

それでも、気が付けばだいぶ日が伸びた。18時の外出禁止時刻を回ってもまだ空が薄らと明るい。つい先日までこの時間はとっぷりと暗かったのに。今日は黄昏時の桜色の雲が美しかった。ついでに細い三日月もひとつ浮かんでいた。

 

夕ご飯の支度をしながら、今日は何が食べたい?と訊くと、他のことを考えながら半分上の空の息子が間違えて面白い返事をした。

Je veux manger le reste de demain 

ぼく、明日の残りご飯が食べたい

夫が一緒にいる席だったので、会話はフランス語だった。昨日の残りの豆ご飯の事を言いたかったのだろう。すごくサイエンスフィクションな返事ね と言って茶化すと、本人は顔を上げてキョトンとしている。「明日」の「残り」を「今」食べたいんでしょう?未来と過去と現在の順番が狂って、まるで Back to the future の世界ね!と言って笑うと、自分の口を突いて出た言葉に今更のように気が付いて可笑しそうにする息子だった。

 

夕飯の後は、家族揃ってテレビの前のソファーに陣取り、NASAがフロリダから打ち上げた無人探査機 Persévérance が火星に着陸する瞬間を待った。と言っても、想像したようなドラマチックな火星の実況中継映像などは現れず、地上のNASAのスタッフの緊張した面持ちが一斉に綻んで拍手に代わったと同時に、着地成功の情報が流れたのみだった。

今回の打ち上げには、どうやらフランスも一枚噛んでいるらしい。探査機の製造のどこかで少なからず関わっている筈だと夫が呟くので、きっとネジ3本はフランス製、蝶番の一個は日本製ね、とかなんとか、くだらない冗談を言いながら画面を見守った。

 

ちょうど昨日、現在2週間の冬休み中の息子と一緒に、学校の先生に勧められた Les figures de l'ombre (Hidden figures) という映画を見たところだ。60年代の NASA に貢献した 3人の優秀な黒人系アメリカ人女性に焦点を当てたフィクションで、とても面白かった。当時の米国での人種差別、女性の社会的地位、そして宇宙開発やロケット打ち上げの様子を同時に辿ることができる興味深い内容だ。

それにしても、肌の色が違うことによる差別の感覚というのが、今の時代に生まれた私にはどうしてもよく理解できない。黒人の人達が奴隷として使われていた歴史的背景が人に色眼鏡をかけるのなら、過去を知ることが現在の邪魔をすることもあるということだろうか。知識が偏見を生むことがあるということだろうか。遠目から塊を眺めるだけで、近くで個を見ようとしない人達が存在するということだろう。

 

さて、今回の Persévérance による火星調査の一番の目的は、生命の痕跡探しなのだそうだ。アラブ首長国連邦など、国によっては100年後を目処に火星へ人間を移住させることも考えているらしい。その頃には彼らの石油も底を突く計算なのだろう。気の遠くなるような話だ。その頃には、私や夫はもちろん、息子さえきっともうこの世にはいないのだ。

 

それにしても、どうしてわざわざ他所の星になんて住もうとするのだろう?地球には水も空気も緑も揃っているのに。人間はこんなに住みやすい星をいつか使い果たして手放してしまうのだろうか。私たちは未来の火星人?

 

火星の他にも住めそうな星はありますか?とジャーナリストに尋ねられ、専門家が答えていた。「地球に近い星に目をやるとして、まず金星 (Venus) の地上はこの世の地獄なのでムリですね。」ビーナスの名を持つ宵の明星が実は地獄の様相を呈しているとは。印象深かった。専門家は続ける。「月であれば可能性があるかも知れません。」

個人的には、火星人になるのに比べたら、月の人になる方がいいなと思った。けれども本当のところは、私は地球以外のどの星にも住みたいなんて全然思わない。地球以外は、頭の中の想像の星だけで充分だ。