Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Vie intérieure

もしも、

 

f:id:Mihoy:20211101101849j:image

 

人の魂が何度も生まれ変わるのだとしたら、

今の姿になる以前は、いつ、どこに居たと思う?

そんな他愛のない会話をしたのは、昨日の夕方のことだった。友と肩を並べ、教会の前の坂道を下りながらお喋りしていた時だ。雨上がりで、濡れた道に切り絵のように張り付いた枯葉が綺麗だな と思いながら歩いている時だった。

 

例え、「ヴェルサイユ宮殿に住んでいた」なんて豪語したとしても確かめようがないのだから、前世なんて気ままに当てずっぽうを言えばよい。我ながら、ランドセルをしょった放課後の小学生のような会話だなと思って楽しくなった。

 

前世なんてものがあるとしたら、

私はケルト人だったことがありそうな気がする。古代ギリシャのアテネか、その辺りにも生きていたかも知れない。ひょっとしたら、一度はアフリカにも居たかしら。そして、フランスに生きるのも、これが初めてではなかったりして。そんな事を言う根拠は、あると言えばちゃんとあるし、無いと言えば全く無い。

 

昨日横にいた友は、「水辺に暮らしていたような気がする」そうだ。風が吹いていて、気候はとても暖かいのだとか。咄嗟に私が「メソポタミア?」と訊いて、突拍子もない質問に友人はそうだとも違うとも答えられず、思わず2人で笑った。そんなこと確認のしようがないものね。だから楽しいのだ。

 

10月最後の日の今日は、いわゆるハロウィン。死者のための祭日。フランスでは、明日の11月1日がトゥーサンと呼ばれる聖人達の祝日だ。

 

カトリックのアイデンティティの強さから、異教徒の習慣であるハロウィンを遠巻きにしていたフランスも、最近は随分と傾向が変わってきた。商店にはシャレコウベやらコウモリやらのデコレーションがお目見えし、道を歩けば、とんがり帽子の小さな魔女や顔色の青いちびっ子ゾンビとすれ違う。

我が家もなにかハロウィンらしい事をしたいと息子がのたまうので、それならば とカボチャを煮てみた。明日は一緒にカボチャプリンを作る約束だ。

 

そして、家族が寝静まった夜更け。

きのう自分の口から勝手に出た「ケルト」が妙に気になって、少し調べてみようとパソコンを叩くと、真っ先に「ハロウィンの由来はケルト文化の信仰に原点がある」と出た。ハロウィンと言えばまさに今夜。なんてタイミングのよい偶然!

 

やっぱり私は遠い昔にケルト人だったのかしら?と、ますます確信なき確信を深め、妄想に耽る夜。真偽を確かめられないところが、かえってオツなのである。

秋の夜は長し。夢見し。