Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Meilleur pâtissier de France

年末年始のヴァカンス最後の日曜日、来客があった。

 

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夫の友人ヴィージルが王様のガレット (ガレット・ド・ロワ) を携えてやって来た。

毎年、新しい年が明けた途端に、どのブーランジェリーのウィンドウもこのキツネ色に焼けた円盤状のガレットが一挙に占拠する。毎年、夏休みが明けた途端に海にクラゲが大発生するのと、タイミング的にも形的にも似ているなと思うのは私くらいだろうけれど。とにかく一つの風物詩となっている。

年明け最初の日曜日 (ちょうど今日) に食べるのが正式なカトリックの慣わしだそうだ。実際のところは、新年を迎えて暫くの間は、いつどこの家に遊びに行っても、例えカトリックの家庭でなくても、ほぼ必ずこの甘いマジパンの詰まったガレットが出るといった具合。一年の初めに、みんなで切り分け頭を寄せ合って戴くところが醍醐味なのだ。今年は大人数で集まる訳にはいかないのが残念だけれど。

 

ヴィージルの持参したガレットは他に比べてどことなく洗練された佇まいで、上面にはピスタチオが散らされている。有名店を選んだ訳ではなく、彼の住むアパルトマンのすぐ近くで買ったそうだけれど、パリの中でも最もパリらしいカルチエに住んでいる彼だから、近所で手に入るものがこぞってソフィスティケイトされているもの頷ける。王様のガレットは内部にフェーブ (豆) と呼ばれる陶製の小さな飾りが紛れていて、自分の切り分の中にそれを見つけた人が王様ということになる。ヴィージルのガレットの場合、フェーブは通例のようにお菓子の中には隠されておらず、オマケの要領で別添えの小箱に入っていた。珍しい。彼曰く、フェーブに当たって歯が欠けたの、喉に詰まらせたのといったアクシデントを避けるための配慮に違いない とのこと。小箱の中の、これまたガレットの形をしたその可愛らしい陶製フェーブを裏返すと、何やら文字が記されていた。

Meilleur pâtissier de France (国一番のパティシエ)  

私が声に出してそれを読むと目の前の2人が吹き出した。特に何の変哲もない「近所のパン屋」のくせに、我一番とは、言ったもの勝ちだと笑う。見るとガレットの大箱にも同じメッセージが印刷されている。誰も彼もみんなして一番と言い合うおめでたい世界なのさと3人で笑った。

 

ところがである。さっきまで笑っていた私達3人は、まず切り分けたガレットの内側の美しい緑色に驚き (通常は黄色い)、よく見ると断面の所々に滲んだようなショコラが見え隠れしているのに感嘆し、続いて口に運んだガレットのその上品な味に驚いた。なんと、本当に「国一番の」ガレットであったのだ。私と夫がヴィージルのお手柄を褒め称えたのは言うまでもない。思いもよらず当たりくじを持参したヴィージルは鼻高々だった。

 

そんなヴィージルは、数年前に独立して立ち上げたコーチングの仕事を生業にしている。企業や個人が商業で軌道に乗るためのコツを手解きするらしい。ビジネスの感覚に疎い私は、そんな風に聞いても全くちんぷんかんぷんだ。そこであれこれ拙い質問をして私なりに理解したのは、彼がその経験と知識と知性と、そして何よりその巧みな話術でもって、なんにもないところにビジネスを成立させるのに見事に成功しているということだ。実際に彼が行っているのは人前で話す講義のようなもので、技術的なハウツーを示すのはもちろんだけれど、メンタリティーを鍛える手伝いをするような部分も大きいようだ。逆に言えばクライアントに目に見える何を供給するわけでもない。それがしっかりニーズを得て仕事として成り立っているのだから、感心だ。「一歩間違えるとハッタリにもなりそうなのに素晴らしいわね!」と、よく知った友人のよしみで冗談を言おうかと思ったけれど辞めておいた。本気で褒めているつもりでも、そうは聞こえないかも知れない。ハッタリではなく錬金術と言った方が無難だろう。ふと、彼のやっている仕事は、その持参したガレットの謳い文句となんだか似ているなと思って可笑しくなってしまい、ひとりで笑いを堪えた。国一番!とまずは謳っておいて、後からその通りにすればいいのだ。言葉の力は偉大なり。

 

さて。1日の終わりに、台所に残っていた王様のガレットの最後の一切れに手を伸ばしながら、夫がおもむろに宣言する。こいつは本当に国一番のパティシエだから、今すぐ真横に引っ越さなくては!サンシュルピス教会のすぐ近くに引っ越すと言うのだから私は大賛成だ。しかしここは考え直して、夏休み前の努力も今や昔話となり、再びすっかり丸みを取り戻した夫のお腹を示してうやうやしく言い渡した。私の代わりに身篭ってくださるモダンな亭主っぷりは大変結構ですけどね、今のお腹のミツコだけで十分です。アキラとケンも合わせて身籠るおつもりで? (すべて、私が息子を身篭って間もなかった頃に候補に上がっていた名前。) すると、三つ子ちゃんもいいじゃないかと丸いお腹を撫で撫で呟く夫だった。

 

お正月ムードも短く薄く、明日から息子の学校と夫のテレワーク再開だ。私はと言うと、これで件の書き物がいよいよ開始できるだろうかと密かに目論んでいる。家の仕事と家族の手伝いが相変わらず山とあるけれど、今年は1人の時間が少しは持てるといいなと思う。