Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Iris de cette année

5月。

 

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一番好きな月。

今朝、バルコニーのアイリス(菖蒲)が咲いた。このアパルトマンに以前暮らしていた住人が植えたもので、全く手入れをしなくても毎年ちゃんと紫色の花を付ける。まるで地面から剣が茂ったように、空を強く突き刺す尖った葉が凛々しい。子供の日に飾る鎧兜に、いかにも似合う植物だなと思う。

 

思えばちょうど一年前、この花が咲いた日からこの日々の記録を公開し始めた。初めて経験するロックダウンというただならぬ出来事の最中で、会えない人達にこちらの消息を伝える手段になるかなと思った。逆に言うと、頻繁に顔を合わせるチャンスのある友人には敢えて知らせていない。近過ぎて気恥ずかしいからだ。

 

初めに公開した相手は敬愛する伯父と伯母で、それを発端に親愛なる父に伝わり、それからなかなか会えない大切な友人や知人数人に知らせた。全員合わせても、両手の指で数えるくらいの人数。

 

一方通行な近況便りではあるけれど、それまで全くの独りよがりで書いていた時と多少違うのは、記録を付けながら時々ある特定の人の顔や、その人の反応が浮かぶこと。その人だったらこんな場面でどうしただろう?とか、近くにいたらこんな話をしただろうとか、あの人だったらきっとこんな風に笑うだろう とか、誰かの事を思いながら書いたりする。私の中では、目の前にいない人との関係が、会えない間にも勝手に進行するのだ。依然としてただの独りよがりに過ぎないのかも知れないけれど、相手の反応を想像して先回しに受け取っているから、両通行のコミュニケーション手段の一つだと思っている。

 

ついでに、実は会ったことのない人との友情というのも勝手に育んでいる。相手は感銘を受けた本の著者だったり、やはり何がしかの書き物をする人達だったりする。(中には、すでにこの世に存在しない人達だっている。) 一方通行な友情といえばそうに違いないけれど、その文章を生み出した作者は、目の前にいない誰かにコンタクトを取っているのに違いないから、そういう意味で彼らは読者と「やり取り」をしているのだと思う。

文章を書くという行為は、種を蒔くのに似ているかも知れない。風や鳥が遠くまで運んで、どこかで誰かが受け取って、そこで根を下ろし、花となる。木となる。森となる。受け手がいなければ、そんな命は生まれない。

取り敢えず私の場合、ささやかでも一輪の花になぁれ と思っている。

 

あれから一年。アイリスは、そんな私の1つの座標になりそうだ。