Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Me perdre dans un passage

日曜の覚え書き


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パッサージュに足を運ぶ。

クラシカルな狭いアーケードは、パリの中でも特別な空間だ。19世紀の「何か」が、ガラス屋根のお陰で蒸発せずに漂っている感じがする。すっぽり包み込まれた空間は、雨風を知らない。お菓子に例えると、棒状のキャラメルを、外気に晒さず、きれいな黄金色の包み紙でくるんだような。

 

活気のあるお洒落なサロン・ド・テがあるかと思えば、いつ覗いても店の人さえ見当たらない仄暗いブティックや、古風で丁寧な作りの高級プレタポルテのショーウィンドウ、時代に取り残されたオブジェを売っている骨董屋など、独特のムードを醸す店が点在する。天井から射すガラス越しの光は、19世紀のプリズムにかけられて、昼間でもどこかしらノスタルジック。なにかしら秘密めいた空間なのだ。

よく、橋というのはこの世とあの世を結ぶものだと言われるけれど、パリのパッサージュは今と昔を結ぶタイムトンネルのよう。Passage という言葉そのものに「推移」という意味があること自体、この空間の運命を示している気がする。時間の推移を逆行するトンネル。通り抜ける頃、我に帰る。

 

そのパッサージュ内にあるギャラリーで、画家のアデルが合同展覧会を行っていた。3日間だけの、現れては消える泡のような、束の間のエキスポ。夫も息子もあまり興味を示さないので、1人で足を運ぶことにした。せっかちな2人に急かされずに済むので、かえって好都合なくらいだ。1人の時間は贅沢な時間。

 

ずっと瞑想的な石の絵を描いてきたアデルは、ロックダウン中に興味の対象がガラッと変化した様子で、ギャラリーの壁にはリズム感のあるカラフルな抽象画が並んでいた。どことなくアフリカンな色使い。踊っているような筆遣い。子供心のある作品で、見ていると楽しくなってくる。外出を制限されていた反動かな?

 

ギャラリーには一点だけ写真作品も置いてあった。合同展の参加アーティストの作品で、モノクロの銀塩写真。枯れ木に鳥が止まった写真で、シックでなかなか良い。私が写真に夢中になった十代の頃を思い出した。古くて使い勝手のあまり良くない祖父のクラシックカメラに嬉々として、華のチアリーディングクラブが自慢の女子校で、部員が3人しかいない写真クラブに入った奇特な女子高生だった。

デジタルがすっかり浸透した今となっては、フィルムと印画紙を使って焼かれた写真が逆に新鮮に目に映る。光を美しく捉えるのは、アナログのモノクロ写真に勝るものはない気がする。そんな風に思うのもノスタルジーのせいだろうか。

 

小さなギャラリーの16時はラッシュアワーで、アデルの知人友人が次々に訪れた。どのみち水曜に我が家で一緒にディナーを囲む予定なので、その時にゆっくり話そうねと言って別れた。

大盛況で嬉しい悲鳴だなんて、Bravo アデル!