Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Vie antérieure ?

胡散臭い事を言うようだけれど、

 

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もしも前世なんてものがあるとしたら、私はひょっとして以前にも一度、フランスで生きたことがあったのかも知れない なんて思う時がある。

 

それはどんな時かと言うと、例えば自分の名前を発音する時だ。

日本人として日本に生まれているけれど、小さい頃から自分の名前の最後の「ほ」の響きを不思議に思っていた。

 

あれは小学生の時だったと思う。一度、滅多な事では怒らない父に、珍しく怒鳴って名前を呼ばれた事があった。その語尾の「ほ」の音が空中で分散して消えていくのを聞きながら、「いくら叫んでみたところで、つくづく締まりのない不思議な音だなぁ」と、怒られている内容なんてそっちのけで思ったものだ。生まれてこの方ずっとその名前で呼ばれているのに、その「ほ」の音に対していつも説明の付かない違和感があった。

 

「穂」という字と情景が好きで、それをあなたの名前に使いたかったの と、いつか母は話してくれた。なるほど、「穂」は確かに素敵な漢字だと思う。音と反して、そのイメージは昔から自分にしっくりくる気がしていた。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。牧歌的なのは気に入っているけれど、「稲穂」ではあまりにも田舎っぽくて嫌だと思ったのは思春期の頃。どんな漢字を書くの?と聞かれると、「麦の穂です」とひねくれた答えを返していた時期もあった。中学生くらいの頃だ。同じ穂は穂でも、いかにも和風な腰の低い稲穂ではなく、ピンとして風にそよぐ麦の穂のほうなのだと。麦秋というのは、麦が黄金に色づく5月のことなのだというのも気に入っていた。

 

フランス語は「 h 」 を発音しない。日本語に比べて音の種類が豊かな言語であるのに、ハヒフヘホに関しては、そういう音が「存在しない」のだ。Miho と綴ると、ミオという発音になる。敢えていえば r の発音が日本語の h の音に近いので、Miro と綴ればミホに「近い」発音が得られる。けれども、私の名前は厳密に言うとフランス語では発音不可能なのだ。

フランス人の前で「ハヒフヘホ」と言って見せると、なんとも不思議な呪文でも聞いたような顔をされる。私が小さい頃から、自分の名前の「ホ」の発音を不思議な気持ちで聞いていたのと同じなのだ。フランス語を習い始めた時、そして、やがてフランスに暮らし始めた時、この ho の発音に首を傾げていたのは私だけではなかったのだと知って、それまで自分が感じていたものがようやく腑に落ちた気がしたものだ。強引なこじつけで、もしも前世にフランス人だった経験があったなら、私の違和感は説明が付くという訳なのだ。

 

いつか、パリのバンドーム広場に面した老舗で、アンティークの宝飾展が催されていた。ガラスケースに並ぶアールヌーヴォー調の植物的な作品の数々は、どれもため息が出るほど優雅。そんな展示物の一つに、麦の穂を束ねたデザインの美しいティアラ (冠) が燦然と輝いていて目を奪われた。そう、麦の穂はヨーロッパにおける豊穣のシンボル。このキラキラ輝くティアラは、「美しい穂」という名前を具現化した結晶のようなものなのだと、勝手に誇らしく思い、心をときめかせながらその場所に貼り付いて眺めた。ようやく自分の名前に込められていた暗号が解けて、その音も、意味するところも、丸ごと好きになれた瞬間だった。

 

そんな事をふと思い出したのは、とある小説を読み始めたから。

前世占い師というのが登場する話。その占い師の口から出た自分の前世を確かめるために、著者が遥々イタリアにまで足を運ぶフィクション小説だ。

世の中なんて、解明できないことばかり。人生に不可思議なことの一つや二つがあってもいいではないか。何でも説明が付くより、解けないミステリーがあった方が「ストーリー」として俄然面白い。

一気に読んでしまいたいけれど、気が付けばもう夜更け。

そろそろ瞼が重くなってきた。