Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Ma position

土曜日

 

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夕方、いつものように台所で料理をしながらラジオを聞く。

ソースに使うトマトをザクザク切っていると、ワクチンパスポート義務化への反対デモの様子が流れた。老若男女、社会地位も様々な顔ぶれが、パリのシャンゼリゼ通り付近に集まっている様子。今夜、国会で法案の詳細が話し合われるので、今日が要の日という訳だ。

 

私は件のワクチン接種をまだ受けていない少数派の1人だ。息子も然り。ただし、子供に関しては、我が家と同様に様子見状態の家庭が多い。

真っ先に接種を望んだ夫は、過ぎたる木曜に2回目を打った後、フラフラの腑抜け状態になって寝込んでしまった。高熱が出て仕事も休み、回復に丸2日かかった。相当強気で悠長に構えていたので、意表を突かれた様子。体が抗体を作っているからこれで良いのだ と、うわごとのように繰り返していた。3日目になって調子を取り戻した後は、接種前と同様に、懐疑的な私に対して眉根をひそめて批判的だ。

 

副反応一つ見ても、人によって重度が全く違う。人の体はそれぞれ違うから、まず自分の体の状態や体質をよく知り、次にワクチンが何たるかを知って、接種の有無に伴うリスクを天秤にかけた上で、各自が自分に合う方法で身を守ればよいのではないか と思っている。その為には、判断材料としてワクチン接種に伴うリスクも明言される必要があるけれど、その辺りが常になにやら不透明なのが不安だ。

 

私達は医者ではないけれど、私達が料理人ではなくてもスーパーで買う食品に材料が明記されているように (それを見る見ないは個人の自由として)、血液に投入するワクチンも、消費者 ( ? ) としては原料やメカニズムの明確とした説明が欲しい。

子供ができてからというもの、ただ「これは効くから飲みなさい」と薬を渡されても、ハイそうですか と鵜呑みにできなくなってしまった。母親になって一癖ついてしまったという訳だ。女性の体は特にデリケートだという事もある。そして、子供については更に一層輪をかけて慎重にもなる。

 

ワクチンの義務化には首を傾げるけれど、「個人」の権利に敏感な国フランスが先立って謳ったことを見ても、残念ながら世界はその方向に進んでいるのだろうという気がする。社会という名の「団体」としては、他に手がないという訳なのだろう。全く分からない訳ではない。

 

息子が夏休みの間だけとっている子供新聞の紙面に、とあるフランスの家庭の迷い猫が8年ぶりに見つかったという記事が載っていた。耳に埋め込んであったチップで飼い主が判明したのだとか。微笑ましい記事のはずだけれど、こんなご時世なので、ふと横道に逸れた想像が頭をかすめたりする。

情報化が進んで、つつがなき社会の繁栄のために、人間にもチップを埋め込む日がいつか来たりして。そんな日が来たらフランスは真っ先に反対する国だろうと思っていたけれど、案外分からないものだ。

 

デルタ種とやらがウナギ登りと聞くけれど、重症患者の数は抑えられている。新しいウィルスの一早い消滅ではなく、共生の時代に入ったのではないかしらと思ったりする。もちろん、油断は禁物だ。

 

不思議なことに、去年と同様、夏のフランスはヴァカンスのスタートと同時に病も勢いを落とす。人々が社交生活を取り戻し、まるでパンデミックなんて悪い夢であったかのような、眩しく楽しげな光景がそこここに広がる。

我が家も、夜はソニアの一家をディナーに招いた。類は友を呼ぶ ではないけれど、彼らも今回のワクチンを打っていない。友達だからといって、別に申し合わせたわけではない。その辺りはあくまで各自の判断だ。食や健康に関する記事を担当するジャーナリストのソニアは、彼女なりの見地からワクチンパスポートに反対している。

 

ビズ (ほっぺに挨拶の軽いキス) は無し。手洗いを励行し、窓を開け放ってディナーを楽しんだ。たくさん食べて、たくさん笑った。

これも儚い夏の夜の夢?