Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

La porte du Midi

再び、南を目指してひた走る。


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高速道路沿いに、Chablis、Vezlay、Chardonnay、Macon とワインの名産地の標識が次々と現れる。ワイン好きは名前を見るだけでそそられてしまうだろう。まるで、運転者に「一杯いかが?」と執拗に勧めているようで、なんだか可笑しい。

パリで、道路脇にセクシーなランジェリーの広告を見かけるのと似ている。胸も露わな女性の写真に目を取られて、アクシデントが増えないのかしら?と思うのは私だけだろうか。

 

アノネ (Annonay) という町の近くまで来たところで昼時になったので、レストランに入ってランチを取ることにした。「あのね」で昼食。

 

私がレストランに入れるのも、今週いっぱいまで。既に映画館、美術館、テーマパーク、図書館などには入れない。それに加えて、来週からはカフェやレストランにも入れない。個人的なロックダウンに入るのと同じこと。

テラス席は許可される筈だったけれど、結局はそれも却下された。夏休みの間は猶予が認められる12歳以上の子供たちも、9月の新学期からは摂取証明パスが求められる。なんだか大変な世の中だ。

 

過ぎたる土曜は、フランス各地で再びワクチンパスに対する反対デモが繰り広げられた様子だけれど、政府は一向に意に介さない。反対している人たちの半分は、「個人の自由の侵害」が理由で、残りの半分はワクチンへの懸念がある人達や、アンチ・ワクチン派と呼ばれる人々のようだ。

 

私が驚いたのは、今回の決定に背いた場合の罰の重さだ。職種によってはワクチンが明らかに義務付けられた訳だけれど、例えばカフェのパトロンが無摂取の従業員を働かせた場合、一度目の発覚で膨大な額の罰金、3度目の場合は投獄されると新聞で読んだ。人殺しと同等の犯罪者扱いだ。異邦人として傍から見ても、これらは非常に「フランスらしからぬ」処置だと思う。仕事のポストによっては、摂取を拒否した場合、即職を失うケースも多い。

 

私がフランスに来たばかりの頃、とても驚いた社会運動の一つに、「不法滞在者のデモ」があった。我らに滞在許可を!と、不法侵入した輩が声高に叫んでデモを行うもの。日本などでそんな事をしようものなら、たちまち捕まって自国に強制送還されようというもの。ここはフランスなのだと、良くも悪くも感心した。

フランスがこういった風に極度に寛容な国になったのは、かの有名なミッテラン大統領の政権以来なのだと、夫などは嘆く。それ以前のフランスは、もっと威厳があり、法に厳しく、妥協を許さず、効果的な政治を行なっていたのに とため息をつく。

 

私から見ると、お役所などの効率の悪さは目立っても、相手を説得する話術や人柄や熱意があれば、法や決まりなどはさて置き、物事に例外が認められる人情のあるお国柄こそがフランス的だと認識している。

夫にそう話すと、それは30年ほど前からの比較的最近のフランスの傾向であって、元々のフランスは、もっと規律のしっかりした国家だったのだとのたまう。

私の知るフランスは、ここへ来てまた変容しようとしているのかも知れない。

 

行程の3分の2まで来たところで、ニ晩目はValance という町で一泊することにした。有名でもなんでもない町だけれど、「南仏への入り口」と呼ばれているようだ。

 

夕食を取ったモダンなレストランの向かいに、ルネッサンス時代のゴシック・フランボワイヨン様式の建物があった。壁一面の複雑な装飾が見事だ。そこだけ時の流れが違う。ローマ時代の歴代の帝王の顔が彫刻されているため、maison des têtes (メゾン・デ・テット/ 頭の家) と呼ばれているそうだ。その顔というのも、すっかり風化してどれが誰だか判別が付かない。

 

レストランを後にすると、街の中心の広場に面して古い素朴な教会もあった。十字軍の遠征を最初に呼びかけたローマ法皇、ユーバン2世 (Urbain ll) による建築物だと壁のパネルに説明がある。時代はなんと11世紀に遡る。

そのざらざらした石の外壁に手を当ててみた。暮れたばかりの夕日の温もりが残っている。きっとこの石は、11世紀の夕日の記憶も宿しているのに違いない。

 

明日は南仏の家に到着する予定だ。