朝の時間は平和な時間。
台所の窓からは背の高い糸杉 (cyprès) が見える。その向こうに、白い石灰質の丘が見える。そして、とても静か。
朝の時間はすてきな時間。
不思議なことに、鳥の囀りはほとんど耳にしない。南仏の太陽は強烈なので、彼らは別の場所で涼を取っているのかも知れない。それとも、私が朝寝坊だからかな?
毎朝お日様が昇るだけで、世界は十分に美しいと思う。平和な朝を迎えられるのは幸せなことだ。
仕事や学校が始まると、こうはいかない。朝の時間は一番慌しい。緊張感の漂う要の時間。やがて夏が終わると、まだ暗い星の朝が始まる。温かい寝床を離れられない息子を叩き起こし、胃袋が稼働しないうちに朝食を流し込むように急かし、気乗りしない彼を叱咤激励し、太陽も起き上がらない真っ暗な外に追い出す。それは全く気乗りのしない役目だ。
人はいつからこんなに時計に従うようになったのだろう?
南仏の家には時計が2つある。
台所の壁に赤いのがひとつ。寝室の壁に古時計がひとつ。古時計はもうずっと以前から動かない。先週、台所の時計も止まってしまったけれど、誰も電池を替えようとしない。ついでに、私の腕時計もここへ来た途端に止まってしまった。C'est pas grave. まあ、いいさ。どうせ、ろくに見もしないのだから。
パリのアパルトマンの居間には時計が3つある。台所に面した壁にひとつ。食事の準備をしながら見られるように。テーブルの横の壁にひとつ。食べながら時間が分かるように。玄関の壁にもうひとつ。出かける間際に一瞥できるように。そのうち一つでも止まろうものなら、即座に電池を変える。
いつか、オアシスの水辺に集う野生の動物達は、朝の時間は獲物を襲わないという話を聞いた。そう、朝は本来、平和な時間なのだ。
そんな事を、南仏での静かな朝に、お茶を啜りながら、緑を目に、改めて思ったりしている。ヴァカンスも残すところ後わずか。