Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Un hasard, pas si hasardeux

偶然について

 

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同じ言葉やイメージや名前を、ある短い期間中に偶然にも集中的に耳にしたり、奇遇にも繰り返し目にしたりすることは、きっと誰にでもあると思う。俗に言うシンクロニシティ。

一体何のサインかしら?と気を付けて意識を向けてやると、それがまるで道標のように、点と点が次々に繋がってある方向を示そうとしているような気がする事がある。最近、そんな事が多い。

 

いつか友人アデルに勧められて読んだ本に、「場所の記憶」についての記述があった。その本の中で取り立てて注目すべき箇所では無いのだけれど、個人的にストンと真っ直ぐ腑に落ちるものがあって、印象に残った。

簡潔に言うと、私はパリの記憶に惹かれてここに居るのに違いないと思う。この街を愛する多くの人たちのように。

 

しばらく前に夢の中にある数字が出てきた。算数嫌いな私にしては、とても珍しい事。その数字を忘れてはいけないと思いながら目を覚ました。

目覚めた直後に書き留めるべきだったのに、朝ごはんを作って息子を時間通りに送り出さなくてはと慌ただしくしているうちに書き損じて、気が付くと朧げな数字の記憶は夢の彼方に遠ざかっていた。とにかく象徴的に5が出てきた事だけは確実に思い出せるのだけれど、55か505か15か、定かでない。思い出そうとすると、頭の中に15世紀という言葉が浮かんだ。いや、少し違う気がする。でも、きっとその辺りで、5がたくさん出てきたような。。。そもそも、年号なのかしら?

 

朝の喧騒がひと段落した後、フランス歴史事典を引っ張り出してきて調べる。一通り目ぼしい年号を見るけれど、これと言ってピンと来るものが無い。やはり特に意味のない数字だったのか。年号ではないのか。ひょっとして、暗号だったりして?そうだとしたらとても手に負えない。そんな事を思いながら辞典を閉じた。やっぱり、ただの夢のイタズラか。苦笑する。少しがっかりだ。

 

ところが。今日になって、メールボックスに届いていたルーブル美術館のニュースレターを開いた途端、ハッとした。ビンゴ!

とある歴史上の人物の絵と、彼の著書が刊行された年号が目に飛び込んだ。訳あって非常に気になっていた人物。ここのところ繰り返し耳にし、目にする人物。そして、夢に見た数字がピッタリ一致する。驚いたと言うより、なぞなぞが解けた安堵感と、そういうメッセージだったのねとニヤリとする思いだった。

 

その人物が現在存命しているか否かに関りなく、更には、人ではなく動物、植物、あるいは生命のないオブジェであっても、この世に存在するもの、過去に存在したものは、いずれも常に何らかのメッセージを送る術を持っている気がする。ありとあらゆる「記憶」は、例え何世紀という時間を超えても、なにがしかの形で情報を発信し得るのではないかしら。

 

誰かが何かに興味を示した時、それはその人が能動的に対象を選んで意識を向けることもあるけれど、その反対に、本人の意思とはあまり関わりなく、実は対象の方がメッセージを発していて、それを受け取る能動的な形で興味を持つという事も多々あるように思う。それもきっとコミュニケーションと呼べるものの一つに違いない。話しかけられて返事をするのと同じように。

 

世の中って面白い。生きている甲斐があるものだ。だって、なぞなぞに挑む事ができるのは、命ある者の特権だと思うから。

 

 

パリは急に寒くなり、今日、息子は熱を出して学校を休んだ。ノエルが近付き、マルシェの軒先に出ていたライチを買ったら、彼が一つ残らず平らげてしまった。それにしても、どうしてフランスの人達はこのエキゾチックな果物とノエルを結びつけるのだろう。モミの木に似てるからじゃない?と、植物オンチな息子が述べる。それを言うなら、モミの木ではなく、モミのリースに付ける松ぼっくりのことでしょう?と私。

 

我が家でこの冬にまだ風邪をひいていないのは私だけ。みんながすっかり元気になった頃、ママンはようやく風邪をひく「権利」を得るのよね と、友と苦笑し合った。