Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Rêverie

覚え書き

 

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昨日の夢について。

 

私のパリでの数少ない同郷人の友、ユリさんは、昔「夢日記」なるものをつけていたそうだ。

 

日中、時々覗く某作家氏のブログに久々に目を通していたら、氏の住んでいるらしきカルチエの道の写真が載っていた。一角にモミの木がある写真。それでハッと思い出した。昨夜の夢。すっかり忘れていた夢の情景が、その一枚の写真を引き金に一気に蘇った。

 

夜、黄色い街頭の灯った道に私は立っていた。この通りのどこかにその作家氏が住んでいるのだと思いながら、その道を通った。

広くも狭くもない道は、低層の石の建物がいかにも厳かに建っていて、人っ子1人いない。建物がこちらの様子を伺っているような、独特のムードだ。

人気のなさに怖気付いて先を急ぐと、暗い通りの先は、打って変わって煌々と蛍光灯の灯った商店の並ぶ路地裏に繋がっていた。土産物屋なのか、ハンガーにかかった服が表にごっそり出ているような、雑多な通り。

その細くて長い路地も抜けると、今度は急に視界が開けて昼間の畑のような場所に出た。茂った緑の向こう側に、紫のラベンダー畑があるのが見えた。そこには人がたくさんいて、どうやら映画の撮影でもしているような様子だった。

 

ブログで目にした昼間の道の写真が、私が夢に見た夜の道と似ていたかと言うと、それほど似ていた訳ではない。かと言って、似ていない訳でもない。何はともあれ、その写真を見た途端、すっかり記憶から失せていた夢が後戻りしたのだから、ちょっとセンセーショナルな感覚だった。

 

こういうことは、以前にもあったように、きっとなんの意味も示唆もない事なのだろう。あるいは、翌日の私の行動を、夢はどこかで先に知っていたのかも知れない。

面白いなぁ。

 

我がカルチエの教会の前のサパンは、豆電球こそ取り払われたけれど、まだ青々として撤去を免れている。12月25日にイエス様が生まれた後、東方の三賢者が彼を訪れるまで何日か日数がかかったそうだから、それまではサパンを飾っておく慣わしなのだと最近知った。それにしても、御三方が訪れた日も実はとうに過ぎている筈だけれど。。。

 

そう言えば、忘れていたけれど明日は私の生まれた日だ。それまでサパンが飾ってあるのもなかなかいいな と思ったりしている。