Ma boîte à bijoux 日々のビジュー

パリでの日々、思ったこと

Parfum d’automne

パリにない花の香り

 

f:id:Mihoy:20211009082731j:image

 

最近、街を歩いている時に、ふとどこからか金木犀の香りがしたことが二、三度あった。周りを見渡すけれど、それらしい木も花も見当たらない。

 

だいたい、フランスで金木犀を見かけたことがない。いつか中国を旅した時、金木犀で有名な小さな村を訪れた。夏だったので花は咲いていなかったけれど、ドライフラワーの袋詰めをお土産に買って帰った。お茶に入れて楽しむために。

東京の実家のマンションにも、植え込みに小さな金木犀の木があった。秋になるとオレンジ色の小さな星形の花を付け、成りはささやかでも、香りで通りかかる人を振り返えらせていた。母などは、よく目を細めて立ち止まっていたものだ。

 

金木犀はきっと東洋の花なのだろう。だとしたら、私がパリで嗅ぎとったのは、一体なんの花の香りだったのだろう?肌が秋めいた風を感じると、日本で育った私の想像力が反射的に働いて、嗅覚を惑わせるのだろうか?

香りが記憶を蘇らせる話はよく聞くけれど、逆に、記憶が香りを呼び起こすこともあるのだろうか。幻聴でも幻覚でもない。香りの幻は、何と呼べばいいのだろう?

 

 

先日、橋の上にいる夢を見た。

その下には川ではなく長い長いプールがあって、泳いでいる人や、カラフルなゴムボートに乗って遊んでいる子供たちが見えた。しばらく眺めていると、巨人の女性が現れて、膝を抱えてプールの水の中に座り込んだ。ガリバーのような巨体だ。周りの人たちが小人に見える。女性は膝を両腕で抱えて縮こまり、自分の体をなるべくコンパクトに収めようとする。それでも、彼女の頭は、私の居る橋の上にまで届いてしまうのだった。

 

目が覚めて、朝の支度を済ませ、家を出てメトロに乗ると、おそろしく背の高い女性が乗ってきて、ボックス席に座っていた私の向かいに腰掛けた。2メートルはありそうだ。ラッシュアワーで、車内はぎゅうぎゅう詰め。通勤客達が女性にチラリチラリと目をやる。あまりにも背が高いのだ。

当の彼女はと言うと、小人の国にでも紛れ込んだように膝を折り畳み、どことなく憮然とした表情で前を見据えている。夢と一緒だ と思った。女性は褐色の肌をした若い人で、整った顔立ちをしている。夢の中の人がそうであったように。

 

予知夢という言葉があるけれど、一体、私のそれには何の意味があったのだろう?

 

マダム・ガリバーは、私よりも先にメトロを降りた。立ち上がると一段と目立ち、車両を降りる時は身を屈めなければドアを潜れない。みんなが彼女を見ていた。私はと言えば、向かいに座っている間に目が合うでなく、言葉を交わすこともなかった。それでも明らかに、夢の中の女性はこの人だったのだという確信があった。しかし、一体あの夢にどんな意味があったというのだろう?

 

夢には特に意味なんてなくて、きっと、ただ脳が勝手にひとり遊びしているだけなのだ と、いつか義理の母とフロイトについて話していて意見が一致した事があった。頭が勝手にコラージュ遊びをするのだと思う。ビンゴゲームの、数字の刻まれたビー玉が入ったバスケットがクルクル回転して、それが止まった隙にビー玉が落ちてくるのと似たようなシステム。ビー玉のナンバーは単なる偶然に過ぎない。ただ、夢の場合、バスケットの中身はナンバーではなく、イメージなのだ。そして、その数々のイメージの中には、過去に「既に見たもの」ばかりではなく、「まだ見たことのないもの」まで入っているらしいのだ。そんなところが面白いなと思う。

秋というのは、不思議なことが起こる季節のようだ。